我ら、敗れたり。
8月の15日と言えば、御盆の最終日。死者はおろか御先祖様の霊までが里帰りし、この日の夜に再びあの世へと帰って行く日とされている。元来は仏教の儀式らしいが、神道或いはキリスト教を問わず、日本国民の年中行事となって久しい。故人が信じた宗教、あるいは子孫が信じている宗教に関わらず、日本人の先祖の霊魂が、里帰りする日である。
と同時に、8月15日と言えば、「終戦記念日」。
先の大戦に於いて、ポツダム宣言の受託を告げる天皇陛下の御言葉「玉音」が放送され、全国民及び陸海軍全部隊に伝達された日。而して我が陸海軍の全面降伏が決定した日である。
1 呼称をめぐる対立
8月15日をどう呼ぶかからして議論の余地がある。敗戦を終戦と呼ぶのは誤魔化しであるとする説がある一方、敗戦を記念日にするとは何事かという説もある。
韓国では(※1)「光復節」と称する。「光が帰って来たお祝い」の意だろう。英語ではVJ Day、意味するところは「日本に対する勝利の記念日」。どちらも彼らの立場からすると目出度いのだから、記念日とするのに何の不都合もない。
我らの立場からすれば、確かに敗戦には違いないのだが、敗戦を記念するなんてのは(※2)ナンセンスであるから、「終戦記念日」と呼ぶのは妥当な線だろう。
さらには、あの戦争をどう呼ぶかと言うのも議論の余地がある。広義には「第2次世界大戦」と呼べば良いが、こう呼ぶと欧州での戦争も含むので、1939年ドイツのポーランド侵攻(※3)とこれに対する英仏の対独宣戦布告から始まることになり、1941年12月に始まった我らの戦争を指そうとすると焦点がぼける。
一般的には「太平洋戦争」だが、当時の呼称は「大東亜戦争」である。「太平洋戦争」は戦後GHQの権威あらたかな頃に普及させ、現在に至っているのだが、米側の呼称Pacific Warの直訳である。アメリカにしてみれば、White Pacificを実現するための戦いであり、主戦場は太平洋上なのだから、この呼称は自然である。
一方当時の日本の立場からすると、確かに主敵はアメリカで、主戦場は太平洋になるものの、直接の開戦理由は石油の禁輸であり、禁輸を打破するための欧米列強による植民地支配からの解放「大東亜共栄圏」「五族共和」「八紘一宇」を謳っているのだから、主眼は東亜である。従って「大東亜戦争」と呼ぶのが自然である。
仮に「大東亜共栄圏」がプロパガンダの産物で実態は日本による植民地化であったとしても、近代以降西欧列強に対し植民地解放を謳って(※4)全面戦争まで始められたのは、我ら日本が最初なのである。これは、特筆大書するに値する。
故に、あの戦争はやはり正式名称は大東亜戦争とすべきであり、俗称が太平洋戦争とすべきだろう。ここでは以降、「大東亜戦争(太平洋戦争)」と表記することにする。
<注釈>
(※1)北朝鮮も、かも知れない。
(※2)よっぽどの自虐史観にでも立たない限り
(※3)および独ソによるポーランド分割
(※4)暴動や反乱程度ならともかく
2 国敗れて…
新ためて言うまでもないが、大東亜戦争(太平洋戦争)の敗北は、我が国始まって以来初めての対外敗北である。周知の通り、我が国の歴史は文字による記録以前に遡ってしまう(※1)から、勢い歴史は口伝・伝承による部分があり、結果歴史は神話に直結している。従って、わが国始まって以来という事は「神代の昔以来」と言う事になる。敗戦の衝撃大なる事は、現代の我々の想像以上のものだったろう。「日本語はやめてフランス語を公用語にしよう。」とか、「日本の字はすべてローマ字にしよう」等という、冷静に考えてみれば暴論以外の何物でもない提案が出てきてしまったのも、その衝撃の大きさゆえだろう。
さらに言えば、その敗北は凄まじい現実として日本国民に突きつけられていた。
住宅地と工業地帯、即ち民間人を標的とした戦略爆撃により、都市という都市は灰燼に帰していたし、港という港は機雷で封鎖された上、外洋には強力無比な米空母機動部隊と冷酷無比な米潜水艦部隊(※2)が手ぐすね引いて待ちかまえている。
海路を断たれていると言う事は、海洋立国日本にとって、血流を止められたに等しい。
翻って我が海軍の陣容はと見れば、最盛期には12隻を数えた戦艦(※3)はただ1隻、世界初の16インチ砲戦艦にして海軍休日のヒロイン(※4)・長門を残すのみとなっていた。この長門は戦後すぐに米軍に接収されて、原爆実験の標的(※5)にされる。
真珠湾攻撃で史上はじめて米戦艦を撃沈した(※6)空母機動部隊に至っては実質全滅。浮かんでいる空母はないではないが、乗せる飛行機とそれを操縦するパイロットが居ない。
矢尽き、刀折れ、完膚なきまでの敗北とはこの事だ。
<注釈>
(※1)古事記、日本書紀に始まる我が国史の文字による記録の開始が、遅かったとも言える。
(※2)通商破壊は潜水艦のもっとも有効な使い方であり、ドイツ海軍も多用した。が、商船を沈めた後潜水艦が浮上して甲板上の大砲・機銃果ては小銃・拳銃まで持ち出して沈められた商船の漂流者を「掃討した」のは米海軍ぐらいだ。さらには、帰港の際に潜水艦の艦橋に箒を掲げ、「掃討した」事を自慢してしまうというのは、他に例を知らない。
(※3)戦艦という兵器の戦略的価値の喪失は、第1次大戦で既に明らかだが、ここでは海軍の象徴として敢えて言及した。
「守るも攻めるも鉄の浮かべる城ぞ頼みなる。」 名曲「軍艦行進曲」がイメージする「鉄の浮かべる城」は、間違いなく戦艦だろう。
(※4)軍艦は英語では女性名詞で受けるので、大概女性にたとえられる。海軍休日時代の7大16インチ砲戦艦群はSeven Sisters 7姉妹と呼ばれた。
(※5)まだ地上核実験に制限を課されていなかった頃の事だ。
(※6)而して、もはや米海軍には戦艦がなく、今後復活の目処もないから、「米戦艦を撃沈した者」は、我らが空前にして絶後である。
3 大東亜戦争なき20世紀
かくのごとく惨敗を喫した大東亜戦争(太平洋戦争)なのであるが、その惨敗の故か「日米開戦は無謀であった。勝てるはずのない戦いを仕掛けるのは無謀以外の何物でもないし、勝てると思っていたのなら無知以外の何物でもない。」との評価が広く流布されている。
何しろ相手はアメリカである。「ドイツに取って無慈悲なまでの工業力」と言われたのは第1次大戦の話。第2次大戦でアメリカは、エセックス級正規空母(艦載機約100機搭載)を30隻、軽空母(※1)を89隻、ガトー級・改ガトー級潜水艦を200隻も建造し、リバティ級輸送船に至っては、あまりに数が多くて一体何隻造ったのか誰にも分からないという有様。従って、後知恵の部分があるとしても、アメリカ相手に勝てそうにない戦争を始めた、というのはどうも確からしい。
戦争は勿論勝つに越したことはない(※2)。ならば、日本は日米戦を、勝てそうにない戦いを、絶対に回避すべきだったのか。たとえばハル・ノートを全面的に受託すべきだったのか。
ハル・ノートを全面的に受託した場合、「日独伊3国同盟は死文化」されるはずだから、まず日本の同盟国はなくなり、同時に「一旦結んだ条約(日独伊3国同盟)を外国の圧力(ハル・ノート)によって破棄した」事から日本という国の信頼は一気に低下する。従って、独伊は勿論その他のどの国にせよ、日本の新たな同盟国となってくれる可能性は極めて薄くなる。
ハル・ノートは同時に、明治以来日本が得た海外権益の放棄(という事は、日本が放棄した海外権益をほぼ全て米国が取得)する事を意味するから、ABCD包囲網はさらに強固・確実なものになる。
もちろん日本の「ハル・ノート受託」により、一時的にせよ日米開戦は回避され、ABCD包囲網側からの石油輸出解禁も期待して良いのかもしれない。
だがその後、ハル・ノートを上回る、「スーパー・ハル・ノート」と言うべき理不尽な要求が出されたとしたら。日本は今度こそ「堪忍袋の緒を切って」日米開戦しようにも、以前ハル・ノートを突き付けられた状態に対して、同盟国を失い、海外権益を失い、石油の備蓄量が増えているかどうかという状態であるから、さらに勝てなくなった戦争を始めなければならない。
その後理不尽な要求を突きつけられることなく、ABCD包囲網との和解がなったとしても、どうだろう。
海外権益の喪失は、実際の大東亜戦争(太平洋戦争)敗北とほぼ同等であるからまだ受容できたとしても、「戦わずして敗北した」日本の信頼および権威の失墜は覆うべくもない。「金をなくすは小さな損。友をなくすは大きな損。度胸を無くせばスッカラカン」なんて言葉を当てはめれば、友も度胸も失った状態なのだから。
それでも「一国平和主義」を取るならば、この状態は日本にとってある種の理想状態なのかもしれない。が、日本以外の、大半が欧米列強の植民地にされてしまっているアジアにとってはどうか。
日本に併合されていた朝鮮半島は、ハル・ノート受託の結果、「独立」に至るかも知れない。が、米国の意図が「民族自立」なぞとはほど遠く、White Pacificにある以上、早晩アメリカの「植民地」にされるだろう。日本の支配すら独力で跳ね返せない半島に、米国支配を跳ね返す力は(当面の間は)ない。
中国大陸は、満州帝国が否定され、日本もアメリカと同様蒋介石政府を正統政府とすることになるが、これだけで国民党政府が共産党を圧倒できるとは考えにくい。結果、大陸の混沌はなお続く。
その他の欧米列強の植民地支配は、「微動だにしない」とは思わないが、史実の通り日本軍が一時なりとも「解放」したほどの大きな衝撃は起こりえない。結果、「東亜侵略百年の野望」は、200年に達したかもしれない。いずれにせよ、今ある各国が植民地支配を脱するまでには、史実以上の長く苦しい戦いが待っていた筈だ。
欧米列強=白人による支配を、有色人種が覆しうると、日本人が実証して見せないのだから。
となると、人種差別主義=白人優位主義も、史実以上に長生きすることだろう。
<注釈>
(※1)と言っても、我が国の正規空母並みの搭載機数を誇る。戦闘機を含む全艦載機の主翼折りたたみ化の威力か。
(※2)「勝てば良い。」とは思わない。
例えば我が国はそこそこ優秀な潜水艦隊を持っており、これを全面的に通商破壊に投入すれば、もっと粘り強い戦いが出来た筈だが、そうすべきだったとは思わない。
その程度では、まだアメリカに勝てると思えない。どうせ勝てないのなら、通商破壊を控えた、「フェアな戦い方」を私は選びたい。
況や、商船乗組員を「掃討」するなど、論外である。
4 我らかつて太古の日、天地を動かせしあの力はあらねど。
結論、大東亜戦争(太平洋戦争)なき20世紀は、全人類にとっては(※1)史実以上に悲惨な歴史となる。
我らは、勝てない戦争を始め、敗れ、世界第3位の海軍も、多くの将兵および民間人の生命も失い、明治以来の海外権益も失った。
我らは多くを失ったが、世界は多くのものを得た。植民地の独立を。人種差別主義の撤廃を。白人優位主義の没落を。
我らは敗れたり。
なれど、戦いたり。
戦いて敗るる事は、戦わざる事に、勝るほど幾何ぞ。
「かくすれば、かくなるものとは知りながら、止むに止まれぬ大和魂」松陰吉田寅次朗
<注釈>
(※1)と言って悪ければ、有色人種全体にとっては
8月の15日と言えば、御盆の最終日。死者はおろか御先祖様の霊までが里帰りし、この日の夜に再びあの世へと帰って行く日とされている。元来は仏教の儀式らしいが、神道或いはキリスト教を問わず、日本国民の年中行事となって久しい。故人が信じた宗教、あるいは子孫が信じている宗教に関わらず、日本人の先祖の霊魂が、里帰りする日である。
と同時に、8月15日と言えば、「終戦記念日」。
先の大戦に於いて、ポツダム宣言の受託を告げる天皇陛下の御言葉「玉音」が放送され、全国民及び陸海軍全部隊に伝達された日。而して我が陸海軍の全面降伏が決定した日である。
1 呼称をめぐる対立
8月15日をどう呼ぶかからして議論の余地がある。敗戦を終戦と呼ぶのは誤魔化しであるとする説がある一方、敗戦を記念日にするとは何事かという説もある。
韓国では(※1)「光復節」と称する。「光が帰って来たお祝い」の意だろう。英語ではVJ Day、意味するところは「日本に対する勝利の記念日」。どちらも彼らの立場からすると目出度いのだから、記念日とするのに何の不都合もない。
我らの立場からすれば、確かに敗戦には違いないのだが、敗戦を記念するなんてのは(※2)ナンセンスであるから、「終戦記念日」と呼ぶのは妥当な線だろう。
さらには、あの戦争をどう呼ぶかと言うのも議論の余地がある。広義には「第2次世界大戦」と呼べば良いが、こう呼ぶと欧州での戦争も含むので、1939年ドイツのポーランド侵攻(※3)とこれに対する英仏の対独宣戦布告から始まることになり、1941年12月に始まった我らの戦争を指そうとすると焦点がぼける。
一般的には「太平洋戦争」だが、当時の呼称は「大東亜戦争」である。「太平洋戦争」は戦後GHQの権威あらたかな頃に普及させ、現在に至っているのだが、米側の呼称Pacific Warの直訳である。アメリカにしてみれば、White Pacificを実現するための戦いであり、主戦場は太平洋上なのだから、この呼称は自然である。
一方当時の日本の立場からすると、確かに主敵はアメリカで、主戦場は太平洋になるものの、直接の開戦理由は石油の禁輸であり、禁輸を打破するための欧米列強による植民地支配からの解放「大東亜共栄圏」「五族共和」「八紘一宇」を謳っているのだから、主眼は東亜である。従って「大東亜戦争」と呼ぶのが自然である。
仮に「大東亜共栄圏」がプロパガンダの産物で実態は日本による植民地化であったとしても、近代以降西欧列強に対し植民地解放を謳って(※4)全面戦争まで始められたのは、我ら日本が最初なのである。これは、特筆大書するに値する。
故に、あの戦争はやはり正式名称は大東亜戦争とすべきであり、俗称が太平洋戦争とすべきだろう。ここでは以降、「大東亜戦争(太平洋戦争)」と表記することにする。
<注釈>
(※1)北朝鮮も、かも知れない。
(※2)よっぽどの自虐史観にでも立たない限り
(※3)および独ソによるポーランド分割
(※4)暴動や反乱程度ならともかく
2 国敗れて…
新ためて言うまでもないが、大東亜戦争(太平洋戦争)の敗北は、我が国始まって以来初めての対外敗北である。周知の通り、我が国の歴史は文字による記録以前に遡ってしまう(※1)から、勢い歴史は口伝・伝承による部分があり、結果歴史は神話に直結している。従って、わが国始まって以来という事は「神代の昔以来」と言う事になる。敗戦の衝撃大なる事は、現代の我々の想像以上のものだったろう。「日本語はやめてフランス語を公用語にしよう。」とか、「日本の字はすべてローマ字にしよう」等という、冷静に考えてみれば暴論以外の何物でもない提案が出てきてしまったのも、その衝撃の大きさゆえだろう。
さらに言えば、その敗北は凄まじい現実として日本国民に突きつけられていた。
住宅地と工業地帯、即ち民間人を標的とした戦略爆撃により、都市という都市は灰燼に帰していたし、港という港は機雷で封鎖された上、外洋には強力無比な米空母機動部隊と冷酷無比な米潜水艦部隊(※2)が手ぐすね引いて待ちかまえている。
海路を断たれていると言う事は、海洋立国日本にとって、血流を止められたに等しい。
翻って我が海軍の陣容はと見れば、最盛期には12隻を数えた戦艦(※3)はただ1隻、世界初の16インチ砲戦艦にして海軍休日のヒロイン(※4)・長門を残すのみとなっていた。この長門は戦後すぐに米軍に接収されて、原爆実験の標的(※5)にされる。
真珠湾攻撃で史上はじめて米戦艦を撃沈した(※6)空母機動部隊に至っては実質全滅。浮かんでいる空母はないではないが、乗せる飛行機とそれを操縦するパイロットが居ない。
矢尽き、刀折れ、完膚なきまでの敗北とはこの事だ。
<注釈>
(※1)古事記、日本書紀に始まる我が国史の文字による記録の開始が、遅かったとも言える。
(※2)通商破壊は潜水艦のもっとも有効な使い方であり、ドイツ海軍も多用した。が、商船を沈めた後潜水艦が浮上して甲板上の大砲・機銃果ては小銃・拳銃まで持ち出して沈められた商船の漂流者を「掃討した」のは米海軍ぐらいだ。さらには、帰港の際に潜水艦の艦橋に箒を掲げ、「掃討した」事を自慢してしまうというのは、他に例を知らない。
(※3)戦艦という兵器の戦略的価値の喪失は、第1次大戦で既に明らかだが、ここでは海軍の象徴として敢えて言及した。
「守るも攻めるも鉄の浮かべる城ぞ頼みなる。」 名曲「軍艦行進曲」がイメージする「鉄の浮かべる城」は、間違いなく戦艦だろう。
(※4)軍艦は英語では女性名詞で受けるので、大概女性にたとえられる。海軍休日時代の7大16インチ砲戦艦群はSeven Sisters 7姉妹と呼ばれた。
(※5)まだ地上核実験に制限を課されていなかった頃の事だ。
(※6)而して、もはや米海軍には戦艦がなく、今後復活の目処もないから、「米戦艦を撃沈した者」は、我らが空前にして絶後である。
3 大東亜戦争なき20世紀
かくのごとく惨敗を喫した大東亜戦争(太平洋戦争)なのであるが、その惨敗の故か「日米開戦は無謀であった。勝てるはずのない戦いを仕掛けるのは無謀以外の何物でもないし、勝てると思っていたのなら無知以外の何物でもない。」との評価が広く流布されている。
何しろ相手はアメリカである。「ドイツに取って無慈悲なまでの工業力」と言われたのは第1次大戦の話。第2次大戦でアメリカは、エセックス級正規空母(艦載機約100機搭載)を30隻、軽空母(※1)を89隻、ガトー級・改ガトー級潜水艦を200隻も建造し、リバティ級輸送船に至っては、あまりに数が多くて一体何隻造ったのか誰にも分からないという有様。従って、後知恵の部分があるとしても、アメリカ相手に勝てそうにない戦争を始めた、というのはどうも確からしい。
戦争は勿論勝つに越したことはない(※2)。ならば、日本は日米戦を、勝てそうにない戦いを、絶対に回避すべきだったのか。たとえばハル・ノートを全面的に受託すべきだったのか。
ハル・ノートを全面的に受託した場合、「日独伊3国同盟は死文化」されるはずだから、まず日本の同盟国はなくなり、同時に「一旦結んだ条約(日独伊3国同盟)を外国の圧力(ハル・ノート)によって破棄した」事から日本という国の信頼は一気に低下する。従って、独伊は勿論その他のどの国にせよ、日本の新たな同盟国となってくれる可能性は極めて薄くなる。
ハル・ノートは同時に、明治以来日本が得た海外権益の放棄(という事は、日本が放棄した海外権益をほぼ全て米国が取得)する事を意味するから、ABCD包囲網はさらに強固・確実なものになる。
もちろん日本の「ハル・ノート受託」により、一時的にせよ日米開戦は回避され、ABCD包囲網側からの石油輸出解禁も期待して良いのかもしれない。
だがその後、ハル・ノートを上回る、「スーパー・ハル・ノート」と言うべき理不尽な要求が出されたとしたら。日本は今度こそ「堪忍袋の緒を切って」日米開戦しようにも、以前ハル・ノートを突き付けられた状態に対して、同盟国を失い、海外権益を失い、石油の備蓄量が増えているかどうかという状態であるから、さらに勝てなくなった戦争を始めなければならない。
その後理不尽な要求を突きつけられることなく、ABCD包囲網との和解がなったとしても、どうだろう。
海外権益の喪失は、実際の大東亜戦争(太平洋戦争)敗北とほぼ同等であるからまだ受容できたとしても、「戦わずして敗北した」日本の信頼および権威の失墜は覆うべくもない。「金をなくすは小さな損。友をなくすは大きな損。度胸を無くせばスッカラカン」なんて言葉を当てはめれば、友も度胸も失った状態なのだから。
それでも「一国平和主義」を取るならば、この状態は日本にとってある種の理想状態なのかもしれない。が、日本以外の、大半が欧米列強の植民地にされてしまっているアジアにとってはどうか。
日本に併合されていた朝鮮半島は、ハル・ノート受託の結果、「独立」に至るかも知れない。が、米国の意図が「民族自立」なぞとはほど遠く、White Pacificにある以上、早晩アメリカの「植民地」にされるだろう。日本の支配すら独力で跳ね返せない半島に、米国支配を跳ね返す力は(当面の間は)ない。
中国大陸は、満州帝国が否定され、日本もアメリカと同様蒋介石政府を正統政府とすることになるが、これだけで国民党政府が共産党を圧倒できるとは考えにくい。結果、大陸の混沌はなお続く。
その他の欧米列強の植民地支配は、「微動だにしない」とは思わないが、史実の通り日本軍が一時なりとも「解放」したほどの大きな衝撃は起こりえない。結果、「東亜侵略百年の野望」は、200年に達したかもしれない。いずれにせよ、今ある各国が植民地支配を脱するまでには、史実以上の長く苦しい戦いが待っていた筈だ。
欧米列強=白人による支配を、有色人種が覆しうると、日本人が実証して見せないのだから。
となると、人種差別主義=白人優位主義も、史実以上に長生きすることだろう。
<注釈>
(※1)と言っても、我が国の正規空母並みの搭載機数を誇る。戦闘機を含む全艦載機の主翼折りたたみ化の威力か。
(※2)「勝てば良い。」とは思わない。
例えば我が国はそこそこ優秀な潜水艦隊を持っており、これを全面的に通商破壊に投入すれば、もっと粘り強い戦いが出来た筈だが、そうすべきだったとは思わない。
その程度では、まだアメリカに勝てると思えない。どうせ勝てないのなら、通商破壊を控えた、「フェアな戦い方」を私は選びたい。
況や、商船乗組員を「掃討」するなど、論外である。
4 我らかつて太古の日、天地を動かせしあの力はあらねど。
結論、大東亜戦争(太平洋戦争)なき20世紀は、全人類にとっては(※1)史実以上に悲惨な歴史となる。
我らは、勝てない戦争を始め、敗れ、世界第3位の海軍も、多くの将兵および民間人の生命も失い、明治以来の海外権益も失った。
我らは多くを失ったが、世界は多くのものを得た。植民地の独立を。人種差別主義の撤廃を。白人優位主義の没落を。
我らは敗れたり。
なれど、戦いたり。
戦いて敗るる事は、戦わざる事に、勝るほど幾何ぞ。
「かくすれば、かくなるものとは知りながら、止むに止まれぬ大和魂」松陰吉田寅次朗
<注釈>
(※1)と言って悪ければ、有色人種全体にとっては