ご由緒
寛永年間(一六二四四四)に関東郡代の三代伊奈忠治が構えた赤山陣 屋は、寛政四年(一七九二)、十二代伊奈忠尊が失脚するまで、関八州の 貢祖の徴収並びに司法、利根川・荒川の改修、新田開発など土木治水を行 う中心的な役所であった。この陣屋は延べ面積二十三万四千坪にも及ぶ広 大なもので、この中に当社をはじめ天神社・八幡社・御陣山稲荷社などが 祀られていた。当社は、陣屋の東側空堀外の山王町廓の地内にある山王池 に面した築山に鎮座する。この築山は、陣屋空堀掘削時の廃土で築いたと 伝える。
創建は伊奈氏によるものと考えられ、恐らく江戸城鎮護の日枝神社から 分社し、陣屋の守護として祀られたものであろう。『風土記稿』には陣屋 廃止後の当社について、「二百年来草創せし地と見ゆ、神体昔は七体あり が、伊奈氏断絶の時失たりと云、其頃は大橋多門或は川鍋左門など云し 神主ありしが、今は領家村神明院の持となれり」とある。ちなみに、神明 院は玉林院配下の本山派修験である。
なお、陣屋内にあった八幡社や天神社は現在合祀されて当社境内にある。 殊に八幡社は、七代伊奈忠順が建立した宝永四年(一七〇七)十一月の石祠 銘文によると、五代伊奈忠常が寛文十三年(一六七三)七月に子孫繁栄の ため創建した旨が記されている。
八幡宮の祠が変わった形でとても気になった。

この祠には、
伊奈半十郎忠順が宝永四年(1707) 十一月忠常の子 (第二子)として、父母の報恩と伊奈 家の繁栄を願って宮城を整備し、山王社の傍らに建碑した安山岩小松石製の石祠です。 祠と は、ほこら やしろ・ みたまやなどの意味であることから、この石製の祠は八幡神のみたま やということになります。
山王沼新田
裏面に刻まれた銘文は、次のように読み下すことができます。 ただつね はじ かなわ 「当初の八幡宮は、 予 (忠順のこと) の祖父忠常 (伊奈家五代) 、 寛文十三年(1673) 七 月剏めて建立せし所なり、 予はもとより慈母の願望有る故に、 宝永四丁亥載秋九月其の宮境 を清めここに杉を樹し、 以て経界と為し再び其の旧制に経営す。 尚乎ば神助を以て子孫 の繁栄せんことを。 領主伊奈源忠順之を誌す。 宝永四丁亥年十一月吉辰」と書いてあるそうだ。
川口市指定有形文化財となっている。
ちょっと不思議の空間川口市赤山日枝神社さんでした。


