雨で仕事がお休みだったので、秦野市にある源実朝公の首塚に行ってきました。

この方、鶴岡八幡宮の銀杏の木の辺りで暗殺され埋葬されたが、首が無いまま埋葬されたと吾妻鏡にある。

現在、鎌倉市の寿福寺に実朝の墓が存在する。 

何物かに首を持ち去られ、秦野市の山奥に埋葬されたとしたら、ものすごく恨まれていたのかも知れない。





元々は、木製の五輪塔であったが、後に石に変わったとされ、その木製五輪塔は鎌倉国宝館にあるそうだ。

殺害した公暁は、失脚した兄頼家の子で、唆され、実朝を殺したという説が有力である。


首塚は、整備され回りに木や草花が植えられちょっとした公園となっている。

首塚だが、嫌な感じはしなかった。


近くに実朝が詠んだ歌碑がある
「ものいわぬ 四方のけだもの すらだにも
あはれなるかや 親の子をおもふ」

約:
口も聞けぬ、いたるところにいる獣でさえも、しみじみ胸を打たれることだ。
親が子を大切にする様子は。

金塊集に納められている歌です。
子を殺された北条政子がどんな風に思ったのだろうか?とちょっと考えさせられる詩です。