茨城県城里町にある高久鹿島神社さんです。
大阪に伝わる言い伝えでは、京都まで連れて行かれ打ち首になったとしていますが、城里町では、坂之上田村麿が討ち取り、首を持ち帰ってきたが、傷みがひどくこちらに、納める事になった。 首のミイラがあったが、大日本史の編纂であちこち歴史を調べていた水戸光國公に、汚ならしいので棄てろと言われて棄てたが地元の方がそっくりの木像を造り奉納したと伝わる。
鹿島神宮にも、アルテイの首が封じ手あるとの話もあるので、どれが本当の話なのかは、わからない。
悪路王だと、日本武尊が退治したとの話もあり、千葉県の鹿野山に胴塚があるそうだ。
古すぎて、悪路王=アルテイなのかすら、わからない。
将門の様に首だけ飛んで行ったのかも知れない。
御朱印は、おそらく無し