谷田部に過ぎたるもの不動並木、広瀬周度、飯塚伊賀七と過ぎたるものの一つからくり伊賀七が造った床面が五画である珍しい建物で茨城県の史跡指定を受けています。
谷田部の県道3号沿いの建物です。
隣のお寺の駐車場に止めさせて頂きました。
五画堂の中は、自動脱穀機らしいです。この当時飢饉などがあり、庄屋として農民を救おうとこの脱穀機を作ったようである。
からくり伊賀七との出会いは、千葉県柏市東海寺の変わった形の鐘楼でした。
戦中鐘を軍に渡そうとしたが、通常のやり方では鐘を採ることができず、横から穴を開けて鐘を取り出したという。
建築も複雑で現存する設計図は、文化7年(1810)だが、鐘楼は、文化15年(1818)の建築でかなり複雑で時間がかかったようである。
この時代に飛行機を発明し、飛んでみたいと願い出たが、「お上の上を通るとは何事か」と谷田部藩に言われて実現しなかった。
谷田部藩が細川家の分家と聞いて、もっと革新的な藩であれば、許可が降りたかも知れないなと思った私である。もし、実現していれば、ライト兄妹よりも早かった。酒屋まで買いに行かせるからくり人形を発明したが、これも藩命により禁止されたそうです。
伊賀七の自宅は、時間になると太鼓などが鳴り、時間を知らせ、門が自動で閉まる和時計であったそうで、つくば市谷田部の資料館に復元されている。
また、測量も行っており、伊能忠敬の測量より12年程古いが、測量法は、忠敬のものより、楽な測量法である。この技術を遺跡図面を書く際に使えたらいいのにと思う私です。
現在、つくばのダヴィンチとして、として市内でピックアップされている。