昨日暑い中何処へ行ったかと言うと、常陸大宮市の陰陽神社さんでした。
巨石が御神体なので、行きたいと思ってずっと放置してたら、名前の由来となった陰陽石が東日本大震災で倒壊。
やっぱり行ってみたいのと、暑い所から逃げたくて、山なら涼しいかも~と思って、出掛けたけど、暑いものは暑い。
でも、少しは涼しかったよ
GoogleMapで、ナビに従うとゴルフ場に連れて行かれた。
えっ~
ゴルフ場の駐車場の端から、陰陽神社に行けると判明、安心しました。
ついでに、お昼ごはん食べちゃおうと思ったら、ゴルフ場休みだった
えーい。こうなりゃ、陰陽神社に駐車場から行ってやるわっ
えっ
偏額、落ちちゃってますよ~


しかも、鳥居に使用されている木が…
この子達に会いたかったの
このブサかわいい狛犬を見てみたかったんです

正確には、ヒキュウという霊獣です。
儒学者の朱舜水が日本に伝えたそうで、寛政10年(1791)に有志によって献上されたが、なんと盗難に合い2012年に有志が再び献上したそうなんです。
ポイント
- 儒学者によって伝えられた霊獣というのがいかにも、儒学が盛んであった水戸藩らしい
- 盗難って、これに似たものを見かけた方は、返して下さい。 歴史的にとても貴重なものです。
水戸 徳川二代藩主、徳川光圀公(義公)が寛文元年 (1661)に領内御廻村の時、一里ほど南の上大賀村念 仏塚から陰陽山の大岩を遥かに望見したとき戌亥(北西) の方から径一尺ほどの金色の玉が飛んできて義公の十間ほ ど前に落ちて消えた。
義公は庄屋に戊亥の方の岩山を案内させ、この陰陽山に 登り親しく御覧になられ非常に感動され、この石をそれま で呼ばれた夫婦岩を改名し陰陽石と名づけられて、二石並んでいる石の大き さを測らせ、東側の小ぶりの石(高さ10m横23m厚さ 2.5m)を陰石、西側の大きい石(高さ8.8m横 5.6m厚さ1.9m)を陽石と名づけられた。
そして、陰陽石を御神体として陰陽山大権現とし野上、 長田、上大賀、小貫、西野内、舟生、山方の7村の鎮守と し神社創建を思い立たれ、元禄4年(1691年)に社殿 が完成した。
現在の社殿は文政2年(1819)に根本甚蔵、小口与 兵衛、清水惣兵衛らによって改築されたものだという。
義公は庄屋に戊亥の方の岩山を案内させ、この陰陽山に 登り親しく御覧になられ非常に感動され、この石をそれま で呼ばれた夫婦岩を改名し陰陽石と名づけられて、二石並んでいる石の大き さを測らせ、東側の小ぶりの石(高さ10m横23m厚さ 2.5m)を陰石、西側の大きい石(高さ8.8m横 5.6m厚さ1.9m)を陽石と名づけられた。
そして、陰陽石を御神体として陰陽山大権現とし野上、 長田、上大賀、小貫、西野内、舟生、山方の7村の鎮守と し神社創建を思い立たれ、元禄4年(1691年)に社殿 が完成した。
現在の社殿は文政2年(1819)に根本甚蔵、小口与 兵衛、清水惣兵衛らによって改築されたものだという。
ちなみに、この間、年下の友人にうっかり八平の話をしたら、全く通じなくて、めちゃくちゃショック

松下劇場の水戸黄門を知らない人が、どんどん増えていくんだろうな。 ちょっと、淋しい。 常陸大宮市は、かざぐるまの弥七のモデルだろうと言う人のお墓の前に、農作物直売所かざぐるまの里を作ったけど、そろそろ名前の元ネタがわからなくなってきてるけど、そのままの名前でいいのか

他県民だけど、ちょっと気になった。
その内、光國公。助さん。角さんのお墓参りに行こうかなぁ~
実は、裏側にも彫刻があるんですが、上手く撮れなくて断念しました。
どなたか、裏側の撮影お願いします
これから頂上を目指します。
ちなみに、ブログをupするに辺り色々調べてたら、手水鉢もある別の入口がある事が判明。
裏口から入ってしまったようだ