香取神宮の第一摂社である側高神社さんにいきました。


側は、それなりに通ってるんですが、行くのは初めてニコニコ 

四季を表す、4つの甕を見に行きたかったのキラキラ




1体しか、居なかったけど狛犬。

かわいい爆笑

新しいものは、撮影せず…。

もっと、豪華絢爛豪華なのかと思っていましたが、意外と質素な拝殿でびっくりびっくり


それでも、幕板部分は、落ち着きのある色使いながら、迫力ある龍が彫られている。


本殿




江戸時代初期に創られたが、彩色模様や彫刻には、桃山時代の特色が見られる。 香取神宮修造の関係から、慶長年間に畿内で名工に学んだ、工匠の手によるものと思われる。


描かれていると気がついた時、模様の細かさに、ただただ綺麗だなと思いました。

素朴だけど、素敵なお社です。


御由緒

社伝では、香取神宮と同じ年神武天皇18年と伝わる。

瓊瓊杵命が降臨した時、経津主神が高天原の神を奉斎したのが、側高神社の起源とされている。


御祭神は、天神(造化三神)・天之御中主神・

高皇産霊命・神皇産霊命とされている一方で、「言わず語らずの神」として口外を戒められた為、近郷住民の間に様々な祭神説が産まれたと言われてる。


神社庁には、上記が祭神と記されてるが、実際は分かっていない。しかし、香取・鹿島の神様と共に国造りの一端を担った事は、間違い無い。


伝承として、昔、側高神が香取神の命により陸奥の馬2,000疋を捕らえて霞ヶ浦の浮島まで帰ってきたところ、陸奥神が馬を惜しんで追いかけてきた。そこで側高神は霞ヶ浦を干潮にして馬を下総に渡らせ、次いで満潮にして陸奥神を渡れなくしたという。以上の伝承から、当社が古代に担った役割が推察される


裏側から、鹿島神宮と筑波山を同時に見る事ができるとあったが、木に、覆われた現在は、難しいのでは、無いかと思われる。


ただ、霊山である筑波山、香取神宮の対となる鹿島神宮。両方が見渡せると言った点でも、この神社がここに建てられた、意味がある様に思える。



私が見たかった、甕だが「四季の甕」といい、写真だと左側から、春の甕、夏の甕、秋の甕、冬の甕といい、それぞれの甕の水量が四季折々の降水量を示すと言われてる。

こういったものが、占術の基礎になったと思われる。 


甕、ひびが入ってますが、大丈夫なんでしょうか? 

一度、水を抜いて、そこがどの様になっているか、形はどうであるかを、是非科学的に調べて欲しい。




まだ、非常事態宣言中だったので、書置き対応のみ。
御朱印代500円でした。




先日、書置き御朱印フォルダーが欲しいなぁと言っていたのですが、100円ショップで色々と買い込み、自作しました爆笑

改良の余地は、ありそうですが、自分で使うのには、問題無し。