発掘の時の影響で、11時になると眠くなるので、夜書こうとすると、うとうとして、全然進まないので、朝書こうと思う。
ついでに、アラフォージャンルに変更してみた。 趣味が多すぎて、寺社で当てはまらないので、変えてみたあせる

千葉県立中央博物館の「千葉の縄文」展を見に、青葉の森公園へ。

そしたら、公園の中は、古墳やら、東金街道やら、意外と萌えポイントがおねがい

荒久(あらく)古墳
千葉市指定文化財
千葉市のHPより




古墳時代終末期(7世紀頃)の古墳。
現在、墳丘はかなり削られてしまっているが、
本来は、1辺20mの方墳(円墳との説あり)であったと考えられている。
かつては、東京湾に面した千葉寺谷の最奥部に造られた古墳である。

最初の発掘調査は、明治24年に行われており、
当時の出土品の大半は、散逸しています。
昭和34年の発掘調査の結果、琥珀製なつめ玉3個、鉄製馬具の破片、1体分の人骨などが出土しました。
凝灰質性砂岩の切り石を積んで作った石室を持つことが特徴である。
床には、粘土が敷かれた上、両隅に排水溝が設けられていたらしい。
大陸の墓制の影響を強く受けた古墳である。

現在、ロープが張られ、墳丘に立ち入る事は、できなかった。
また、石室も埋め戻されている。


旧東金街道
道は、かなり狭い。
両側が高くなっている。掘削したか、土塁を設けたと考えられる。

家康が、この道を通り東金御殿まで、鷹狩に行ったと思うと感慨深いものがある。

しかし、この街道を造るに辺り、土井利勝に命じ、農民まで借りだし、昼夜問わずに造られたので、一夜街道などとも呼ばれている。 3カ月くらいで造りあげたらしい。 無茶苦茶である。