佐志能神社は、延喜式内社の論社の1つである。
では、他にある佐志能神社は?
延喜式に載っているのは、新治郡小社。
他の佐志能神社、3社は石岡市。
石岡市は、新治郡ではないのです。茨城郡になります。
しかし、染谷佐志能神社は、絶壁にあり、横の屏風岩や風神の穴など、それらしい雰囲気がありました。高龗神を祀っています。
ここと、対になるのが村上佐志能神社です。
こちらは、闇龗神を祀っています。
両神社は、同じ竜神山という山に祀られているのです。村上社の方が先にできたようで、日本三代実録に仁和元年(885)9月7日戊子,授かるに常陸国従五位下,村上神社従五位上とあることから,かなり古い創建と思われる。
柿岡佐志能神社。この神社の裏には、丸山古墳がある。豊城入彦命の墓とされ、ご祭神は豊城入彦命である。通称、白鳥大明神。
ちなみに、現在は全ての佐志能神社にこの方は、祀られています。
で、笠間の佐志能神社ですが、築城後は、街中に移っていたらしい。
まず、佐伯山正福寺の伝承では、御使いが、白馬、白鹿、白雉」で三白山がなまって、佐伯山になったといい、笠間市の歴史では「白雉、白鹿、白狐」と伝わる。 当時は、三白権現と呼ばれていたようだ。
ちなみに、現在のご祭神は、廃城後決められたものである。
下市毛黒袴に移されたので、人々は黒袴権現と呼んでいたらしい。
一応、文献などを調べたが移転や火災などで、どうやら高龗神と闇龗神らしい事がわかったものの、当時は、よくわからない神様より、地元の名士をと言った感じで、今の祭神になったらしい。
ご祭神
豊城入彦命
建御雷之神
大国主神
ここが、式内社と仮定した場合、神社裏の岩場や岩倉と呼ばれる石の切り出し場が、磐座だったのか、神様が降臨されたかと行ったところであろう。





