道の駅きたかわべから、すぐ近く。

唯一平地にある3県境。
元々は、3県境は渡良瀬川の上であったが、足尾鉱毒事件がきっかけとなり、渡瀬遊水地ができ、渡良瀬川の流路の変更になり、現在の県境となった。

渡瀬遊水地は、明治23年、29年の洪水を契機に、渡良瀬川下流部の洪水被害とともに、足尾銅山から渡良瀬川に流れ出した鉱毒による被害は明確になった。これに対し、渡良瀬川の改修や最下流部に遊水地計画が打ち出され、当時、渡良瀬川は栃木県管理であり、明治37年県議会可決後、明治38年から明治40年までの間に930町歩余りが買収された。その間、明治39年(1906)には谷中村は藤岡町に合併廃村となった。明治43年には、内務省による改修事業が始まり、昭和5年には渡良瀬遊水地が完成した。
この計画に最後まで、反対し、谷中村に住み続けたのが、田中正造である。
何故なら、鉱毒の抜本的対策では無かったからである。
足尾鉱山近くでは、煙害により、草木の生えない土地となり、廃村にまで、なった村がある。
現在、日光市にある旧松木村だ。
植林などを行いやっと、木が生えてきた状況だ。
足尾鉱山は、昭和48年まで掘り続けられた。
一応、渡瀬遊水地を持って、足尾鉱毒事件は、解決とされているが、足尾の山周辺が草木が無くなってしまい、崩落の危険性があり、毎年国は、何十億と言う予算を砂防ダムや、植林の事業等に使っている。
また、東日本大震災時に、基準値を越える鉛が検出されるなど、未だに事件は解決していない。 その時、国が目先の利益を追及した結果このような事態になったと考えられる。
この、教訓が、東日本大震災の原発事故にうまく活かされるといいと思う。
いつか、旧谷中村、旧松木村に足を運んで、どの様に感じるかレポートしてみたい。
そんな、渡瀬遊水地だが、何故か、ダムカードがある。
道の駅 きたかわべで、頂ける



