いしみ      いすみ
大多喜町にある夷灊神社(通称 夷隅神社)さんです。

いしみが読めないし、書けないガーン

令和2年2月4日参拝
古い街並みの残る大多喜町の街中にある神社さんです。


街の中なので、参道の生垣が綺麗です。
参道の石垣

船着き場のある水路。 城の外堀ではないだろうか?

向拝の彫刻
見応えありますね。
幣殿 天井画。 
ちょっと、電気で絵が全部見れないのが、かなり残念ぐすん
隙間から中を覗く
横の方にも細かい彫刻
本殿

祭神 素盞鳴命

相殿 大己貴命(大国主命) ・稲田姫命(櫛名田比売命)

由緒 夷灊神社(通称 夷隅神社)は歴史も古く、鎮座の年代は不詳ですが、大多喜町では最も格式の高い神社です。
社伝によれば、長久2年(1041)再建。
天正15年(1587)に里見氏の将、正木大膳亮(時尭)が根古屋居城の時再築したと言われています。
 以後、上総大多喜城初代藩主本多忠勝より最後の城主松平正質まで代々城主の武運長久の祈願社として、崇敬、加護されてきました。
江戸時代の頃は、牛頭天王宮と称し、大多喜城下新丁、柳原、桜台、久保、猿稲、田丁、紺屋七町の氏神として崇敬されました。
 社殿は、江戸時代貞享2年(1685)に本殿が、安永5年(1776)に幣殿、拝殿が複合した形で建立された権現造りの形式になっています。周囲に玉垣を廻し、全体的に均整のとれた重厚で美しい社殿であり、各所に見られる彫刻、絵画、高欄疑宝珠等も貴重で大多喜町指定有形文化財となっています。

明治にはいり、神仏分離により名前を夷灊神社に改称し、ご祭神は素盞鳴命とされていました。
神社の屋根改修工事に伴い、仮社殿に御神体を遷座奉斎するため、本殿内部を調査したところ、御神体の台座の中から、真綿に包まれた御鏡が発見されました。
その鏡に、中央「素盞鳴命」右側「大己貴命」左側「稲田姫命」と刻印されており、御祭神がこの三柱であることが、わかったそうです。


HPより

こう言った事例は、あまり多くありません。
歴史の中に、埋もれてしまった真実なのでしょうね。

茨城県北相馬郡利根町にある延喜式内社の蛟蝄神社さんでも、奥宮の改修工事で、祭神が新たにわかったり、神紋が昔と違っていたりと色々な事がわかったそうです。

歴史ある神社で、改修工事等が行われると新しい、真実が解るかも、知れませんね。

御朱印は、あるらしいのですが、参拝した日は、お留守でした。
宮司さん宅は、離れているので、事前に連絡を入れてから、行った方が良さそうです。