令和2年2月4日登城

千葉県立中央博物館 大多喜城分館にて、「玉前神社・一宮町の《宝物》」展を見に行ってきました。


まずは、大多喜高校に残る遺構からニコニコ
薬医門
二の丸にあった薬医門


大井戸

本多忠勝が築城した際に造られた。
底知らずの井戸と呼ばれている。
当時、井戸車16個でくみあげられたという日本一の大井戸。
戦国無双を結構やり込んだので、戦国無双の本多忠勝が無双モードで井戸を掘ってく、イメージが…アセアセ
こんな感じダウン
@コーエーテクモゲームス

高校から、階段で登るルートもあるのですが、車なので、大多喜城の駐車場へ。
一番、最初にあるのは、千葉県で一番古い水道
大多喜水道である。
大多喜は、山間に在るため、水には恵まれていない土地であった。
最後の城主である、松平(大河内)正質の頃、ようやく工事が具現化し、明治2年11月に着工、翌年明治3年5月に完成しました。

ちょっと、奥を覗いて見ました。
ノミで削ったあとがはっきり見えますニコニコ

大多喜城 古地図


堀跡

土塁

大多喜城

大多喜城は、あまり遺構が残っていません。
この城も、資料を元に造ったとされていますが、石垣が見つかっていないなど、天守閣が無かったのでは、ないかと議論されています。

ここに、大多喜城を建てた本多忠勝を大多喜町をあげて、プッシュしています。
大河ドラマの署名があったので、書いてきました。


一ノ宮玉前神社さんは、戦国時代の永祿年間(1558~1570)年、戦乱により一宮城の落城の際とともに兵火にかかり炎上、その際に神宝以外の古文書等は、全て消失したと伝えられているそうです。

鏡など、素晴らしい装飾のものを観ることができました爆笑

一宮城主であった、加納家とは、深い関係にあり、一族の中から神主の田中家へ養子に入った方もいるそうです。

一宮城、最後の城主 加納久宜は、麻生太郎氏の曾祖父にあたる為、一宮町の加納久宜公没後100年記念式典に際、麻生太郎氏より書かれた加納久宜遺訓の色紙がありました。

麻生さんすごい人だなぁとちょっと感動おねがい


遺構もないし、なんちゃって天守閣なのに、何故か続100名城。

最後に、続100名城スタンプをポチっとな。


大多喜城の階段を下りて、大多喜高校に向かっていた時、なんか穴が幾つか開いていたのですが、これも水道かな?
なんの穴かすんごい、気になる