今月は、運勢下降気味らしくて、車がパンクしてしばらく遠出できなくて、車が戻ってきたら、自分が足の裏の筋肉が炎症を起こして、かかとに力を入れると激痛が走るという…
どっか行きたいよ~
令和元年12 月13日
千葉県酒々井町のPA近くで、発見された旧石器時代の遺跡「墨古沢遺跡」が気になっていまして、近くの公民館で展示していると知り、行って見ました。
この遺跡は、「石器ブロック」と呼ばれる石器の分布が集中する場所(上記地図内⭕)が円環状に配置された「環状ブロック群」(上記地図内――部分)と呼ばれるもので、円環部の大きさが南北70m、東西60m、4386点の石器を発見し、未発掘の石器を含めた総数は1万点に迫ると予想される日本最大級の規模を誇ります。
上記地図の黒い点の部分は、発掘により全て取り上げ、現地にありませんが、北側、東側の赤い点は、発見当時のまま残されているそうです。
酒々井の観光案内地図を貰って、見ていたら、
カンカンムロ横穴群と言うのを発見。
横穴好きな私、張り切って現地へ
GoogleMapを指示どうり進みました。
他の方のブログをみて、ここだと思ったのですが、説明板がありません。
他の方のブログにはあるんですけどね
よく見たら、竹やぶの山の上の方に横穴を発見
どうしても、見たくて笹に掴まり上へ。
そして、下を見ると…
説明板見ないとさっぱりわからない
酒々井町のHPには、こうある。
西向きの急斜面に造営された横穴古墳群、七基があります。一基からは仏具である青銅碗・直刀・須恵器が発掘されており、築造年代は7世紀後半から8世紀初頭とされています。通称「カンカンムロ」・「厳島の隠れ里」と呼ばれる伝説が伝わっています。町指定文化財。
こんな昔話もありました。
[厳島山のカンカンムロ]
むかし、厳島山の近所に住む若者が、結婚式を迎えようとしていたが、式に使うお椀やお膳が借りられず困っていた。若者が厳島山の弁天様にお願いしていると「ほら穴」から「望みをかなえよう」との声がした。若者はその前に立ち「お椀とお膳を貸してください」と柏手を打つと「ほら穴」から「翌朝、取りに来い」との声がした。
声のとおり若者が取りに行くと「ほら穴」の前にお椀とお膳が置いてあった。若者は結婚式が終わると借りたお椀とお膳を返した。
このことが評判となり、借りる者が増えていったが、ある男が蔵に隠して返さずにいた。ところがいつの間にか、蔵に隠したお椀とお膳は消えてしまったという。
それからというもの、いくらお願いしても品物が出てくることは無く、柏手の音が「カンカン」と「ほら穴」にひびくだけでした。そののち「ほら穴」は「カンカンムロ」と呼ばれるようになりました。
厳島山御林[おはやし]のこと
酒々井区の新堀には印旛沼に浮んだ島のように見えていた厳島山があります。
江戸時代の絵図には「いつくしま御林」と書かれており、佐倉藩が直接に所有していた土地でした。高さは約27m、印旛沼への眺めは最高に良い場所であり、川の神である弁天と水運の神である住吉の社[やしろ]が祀られています。戦国時代は印旛沼を監視する物見台であった場所で、天正十九(1591)年には北側の低地に船着き場「新堀河岸[しんぼりかし]」が築かれました。
この厳島山の西側には「カンカンムロ」と呼ばれる「横穴[おうけつ]古墳」があります。町史によれば、上下二段に分かれて七基あるとしています。そのうち最北端の一基が昭和二十二年に発掘調査され、青銅碗[わん]、めのう勾玉[まがたま]、直刀[ちょくとう]、鉄鏃[てつぞく]、須恵器[すえき]、人骨三・四人分が発見されました。その遺物から七世紀の終わりから八世紀初めに築かれたとされています。千葉県の北部では横穴古墳は数が少なく、町の文化財として指定。
厳島山
山の裾付近がカンカンムロ
カンカンムロ出土 銅椀 7世紀後半
カンカンムロ出土 銅碗
7世
厳島山