8月最後の日、旦那の誕生日をスルーして、城友と臼井城跡へ。

成田から、京成で臼井まで。
本数の少なさにびっくりガーン
京成佐倉駅で、各駅に乗り換え臼井駅へ。

そっからの道は、山を越え谷を越えってな感じの、道のりでした。
臼井城跡に到着。

臼井城は、1114年に臼井氏によって築城されたのが始まりとされます(一説あり)。1479年には関東管領上杉の重臣・太田道灌が武蔵千葉氏に加勢し、下総千葉氏との激戦が臼井城でありました。後の1557年には乗っ取る形で千葉氏一族である原氏の城となりますが、小田原城落城と共に滅ぶ事になりました。

その後、酒井家次の居城となりました。
文禄2年(1593)城内より出火、灰燼に帰し、その後、酒井家次は、慶長9年(1604)加増の上、高崎に以封され、臼井藩は廃藩となり、臼井城も灰城となった。


佐倉市の指定文化財。
本丸、二の丸を初め土塁、堀などがかなり良好な状態で残っている。
臼井城跡公園になっています。
以外に、遺構が残っていました。

二の丸


堀跡


土橋

本丸

対岸にも、城跡があります。
本丸跡より、印旛沼が見え、重要な拠点であった事がわかります。

堀跡が道路になっていました。
曲輪

三の丸の跡地に、太田道灌の弟
太田図書の墓
石の形状などから、後世に造られたものだと思われます。

ここで、太田道灌と下総千葉氏との激戦があり、この戦いで、亡くなられた事は、間違いない事です。

この城は、上杉謙信が攻めても落とすことのできなかった城でもあります。(しかし、上杉家側の記録には、この戦いの記載はありません。上杉謙信は、無敗であると後世に示したかったのでは、ないかと想像します。)

臼井駅の反対側に、上杉謙信一夜城跡の石碑があるそうです。

三の丸から少し行った所に、千葉氏の城ではお馴染み、妙見社がありました。


城内に社が1社。
城裏手に、天神社。


近くに、砦もあったそうです。(こちらも、史跡として、保存されています)

香取海の重要な要衝であった事が伺えます。
なかなか、見応えある城跡でした。