栃木県小山市の高椅神社さんへ参拝致しました。
栃木県ですが、江戸時代までは、結城藩の領内だったので、栃木県ですが、こちらは下総国となり、下総最北の延喜式内社であります。


実は、イベントの前日だったもので、垂れ幕とか掛かっていて、全景が見えないと言うえーん

手水舎
今回修繕が終わった随神門

なんとか、何処かで全景が見れないものかと思ったら、ウルトラマンオーブ、クレナイ・ガイ役の石黒英雄さんが丁度この場所での写真付きで、ブログをupされていました。
うわ〜ラブラブ めっちゃかっこいいラブ
神社と着物。良いなぁ。
じゃなくてあせる

神社の祭神は、料理の祖神「磐鹿六雁命」。
料理の神様を祀る神社としては、千葉県南房総市の高家神社が有名だが、こちらは最古の神社である。

日本書紀によると料理の祖神とされているが、「磐鹿六雁命」は実在した人物である。
第八代天皇孝元天皇の大彦命の孫で比古伊那許志別命(大稲腰命)の子とされているが、古事記には記載がない。
また、膳臣(かしわでのおみ、膳氏:のちの高橋氏)の遠祖とされている。 

『縁起』

社伝によると、景行天皇41年、日本武尊が東征の際に当地で国常立尊・天鏡尊・天萬尊を勧請し、戦勝を祈願したのが起源である。景行天皇が、日本武尊の東征の戦跡を巡視された際、膳臣であった磐鹿六雁命は老齢のため帝の許しを得てこの地に留まった。 天武天皇12年(西暦684年)、当地を支配した磐鹿六雁命の末裔高橋氏が高橋朝臣の姓を授けられ、その年、当社に祖神・磐鹿六雁命を合祀して高椅神社と称した。

長元2年(1029年、境内に井戸を掘ったところ大きな大きなが出たので、これを都に報告したところ、時の後一条天皇は誠に霊異なことであるとして「日本一社禁鯉宮」の勅額を授けた。以来、当社氏子は鯉を食べず、鯉の絵が描かれた器は使わず、5月にこいのぼりも立てない。このことから当社には鯉の明神の別名がある。

中世には下総国結城氏の保護下に置かれ、歴代当主によって保護されていた。 結城政朝結城政直結城政勝結城晴朝結城秀康各城主の寄進状、祈願文、修行留等20通余が現存する。 殊に秀康が越前福井へ国替になった後も代々例度の代参を欠かすことがなく、明治維新まで続けられた。

ちなみに、門の裏側は、ちょっと見れたニコニコ
彩色鮮やかで、綺麗です。

拝殿



本殿


御朱印代300円

大変、忙しいなか、御朱印のご対応ありがとうございましたニコニコ