石川町より、茨城県方面に南下し、棚倉町の陸奥一ノ宮 馬場都々古別神社さんへ。

が、今回も16時を過ぎてしまい御朱印は、頂けませんでしたえーん

早起きして、行かないとダメですねあせる


都々古別三社の1つで、江戸時代には「近津三社(馬場都々古別神社、八槻都々古別神社、下宮近津神社)」と称された上の宮にあたります。

かつて「東夷」を鎮定した日本武尊(ヤマトタケル)が、初め建鉾山(白河市)に鉾を祭り、のちに大同二年(807年)坂上田村麻呂が近世棚倉城の地に移したと伝えられます。寛永元年(1624年)に棚倉藩主丹羽長重が棚倉城を築城するため現在の地に神社を遷宮しました。

実際、縦鉾山山頂は、祭祀遺跡として、色々な出土品が出ている。
現在、都々古別神社 奥宮となっているようである。
 山がキレイな三角形であったり、巨石があるといった所から、聖地として、選ばれたと思われる。

祭神は味耜高彦根命と日本武尊

境内には樹齢数百年の古木が茂り、棚倉城地より解体移築されたと伝えられる流造の本殿や、向拝一間に唐破風を持つ拝殿は荘厳です。
また棚倉町出身の近代画家勝田蕉琴の筆塚もこの境内にあります。
社宝には鎌倉時代源義家が寄進したとされる長覆輪太刀二口(国重文)や、赤糸威鎧残闕(国重文)などがあり、数多くの貴重な文化財が保管されているそうです。


狛犬さんは、なんか人間味あふれるお顔です。


楼門


楼門を通り拝殿に向かいます
周りを柵で覆われているからか、なんだか国府と作りが似ている気がしました。

本殿
とても細かな彫刻です。
がまん鬼ですかねぇ?


拝殿の脇に池
本殿の横に列なる灯籠群
もしかしたら、こちら側も参道として使っていたのかも知れません。
今は、草ぼうぼう。

今度、電車で行って見るかなぁ〜