千葉県栄町にある駒形神社さんです。
10連休から、ダラダラになってしまい、気力が無くてブログサボってました

いつも、神職の方が居るかどうか不明でしたので、先に連絡してから参拝致しました。
1111~1151年(天永2年~仁平元年)にかけて、駒形神社のあたり一帯は大水・干ばつにみまわれ、飢餓が続き、民は大変苦しみましたので、仁平元年(1151年)9月9日、郡司大浦朝臣廣足が駒形山の大台の地に、五穀豊穣の神を祭ったところ、翌年秋豊作となりました。
このことから、神の賜り物と考え、以後も末永く民が食に安んずる様、川崎村から安食村に改められたのは天正年間の頃と伝えられています。
天明6年(1786年)の「安食村御差出明細表」の中で辺引の本社の説明に「駒形明神之元の跡」とあることより、以前は辺引き(安食小近く)に鎮座していたとも考えられます。
本社はのちに川崎神社と改められています。
このことから、神の賜り物と考え、以後も末永く民が食に安んずる様、川崎村から安食村に改められたのは天正年間の頃と伝えられています。
天明6年(1786年)の「安食村御差出明細表」の中で辺引の本社の説明に「駒形明神之元の跡」とあることより、以前は辺引き(安食小近く)に鎮座していたとも考えられます。
本社はのちに川崎神社と改められています。
これが、安食の名前の由来となります。
さて、栄町は、旧埴生郡です。
埴生郡の駒形神社は、「小麻賀多」と称し、稚産霊名を祭神としていたそうです。
しかし、こちらの駒形神社さんは、そういった縁起がなく、祭神も「保食神」。
麻賀多神社(小含む)は、西から南西の方角を向いている。
その方角には、必ず水域が存在している。と言う共通点がある。
こちらの神社も、同じ共通点を持っていた。
もしかしたら、遷座した時、もしくは、度重なる水害で資料が無くなってしまい、以前の記録が無く、身近な神様を祀ったので無いだろうか?

御朱印代300円
神社近くのお米屋さんで、書き置きを頂きました
土地の歴史は、実に興味深いですね
