たまたま、近くを通った所、とても河津桜がキレイでしたので、寄ってみました。
松ヶ崎城の名が始めて、出てくるのは、室町時代に書かれた香取神宮の文書の中です。
逆に、それ以外に資料が無く、どの様な城か、わかっていませんでした。
平成14.15年に柏市で発掘確認調査により、わかってきました。
この辺りには、珍しく千葉氏に恭順しなかったので、滅んだようです。
今では、整備され公園となりましたが、堀、土塁、古墳などは、わかりますが、草ぼうぼうの酷い状態でした。
そこにあるの方が、三郡境の不動様。
しかし、絵馬堂は、火災で無くなってしまい、貴重な絵馬も無くってしまいました。
そして、香取海の最西がここでした。
守りの要。つまり、砦だった事がわかります。
このお不動様は、「印旛郡」「相馬郡」「葛飾郡」の境だった事から、三郡境の不動様と呼ばれていました。
ここから、船で木下へ。
木下から、東国3社巡りは、始まるのです。
船を使いお詣りに来ていたのでしょう。
良く見ると滝があります。
公園として、整備した際、多くの木々が伐採されてしまい水が、枯れかかっています
時代の流れにより、水運があり成り立っていたこの辺りの寺社は、衰退していきました。
成田山新勝寺さんの様に、時代を見据えて、電車を開通させようとした所もあれば、こちらの様に忘れさられていく、場所もあります。
どんな小さなお社でも、1つ1つ、歴史があるのです。














