たまたま、近くを通った所、とても河津桜がキレイでしたので、寄ってみました。


松ヶ崎城の名が始めて、出てくるのは、室町時代に書かれた香取神宮の文書の中です。
逆に、それ以外に資料が無く、どの様な城か、わかっていませんでした。
平成14.15年に柏市で発掘確認調査により、わかってきました。

この辺りには、珍しく千葉氏に恭順しなかったので、滅んだようです。
今では、整備され公園となりましたが、堀、土塁、古墳などは、わかりますが、草ぼうぼうの酷い状態でした。

物見台跡 古墳の高さを利用して、物見台としていた様です。(腰巻2号古墳)

ちなみに、腰巻も城からきた言葉であると柏市では、説明しています。

登ってみたら、こんな石が…。
城後だった事もあり、なんの破片かわかりませんねぐすん 石室?と思ったんですが、須恵器の様な気もします。

曲輪 土塁がキレイに残っています。

虎口 右と左で高さの違う「食い違い虎口」となっている。

わかりづらいが、右の土塁の方が高くなっている。

空堀の底より。空堀の底から、土塁まで、約5㍍
ちなみに、上を見たら、キジと思われる鳥がいた。

森に入り左方向に、進むと腰曲輪にでる。

そこにあるの方が、三郡境の不動様。
今は、見る影もない状態ですガーン
年々、壊れていっている気がします。
ここに、城が建った意味と重要な拠点であった事がわかる絵馬がありました。

しかし、絵馬堂は、火災で無くなってしまい、貴重な絵馬も無くってしまいました。

かつてのこの辺りを描いた絵馬。
真ん中が水戸街道。

かつては、茶屋が並び賑わっていた事がわかります。(右端)
この辺りは、香取海と呼ばれる場所で、利根川、手賀沼、印旛沼など海へ繋がっていたのです。
そして、香取海の最西がここでした。
守りの要。つまり、砦だった事がわかります。

このお不動様は、「印旛郡」「相馬郡」「葛飾郡」の境だった事から、三郡境の不動様と呼ばれていました。

ここから、船で木下へ。
木下から、東国3社巡りは、始まるのです。

お不動様の回りは、湿地帯です。
船を使いお詣りに来ていたのでしょう。
良く見ると滝があります。

現在は…。
松ヶ崎湧水となっていますが、ただの水溜りですえーん
近くに、多くの工場ができて、地下水が汲み上げられた事。

公園として、整備した際、多くの木々が伐採されてしまい水が、枯れかかっていますぐすん

時代の流れにより、水運があり成り立っていたこの辺りの寺社は、衰退していきました。

成田山新勝寺さんの様に、時代を見据えて、電車を開通させようとした所もあれば、こちらの様に忘れさられていく、場所もあります。

どんな小さなお社でも、1つ1つ、歴史があるのです。