下野薬師寺別院 龍興寺さんです。

開基は、鑑真和尚である。
鑑真和尚の使った五鈷鈴が伝わっている他、弟子たちが、建てたとする供養塔があります。
どこに、供養塔があるか分からなかったので、写真はありません

道鏡塚
道鏡は、奈良時代の法相宗の高僧で、物部氏の一族の弓削氏の出自で、俗姓が弓削連である事から、弓削道鏡と呼ばれています。
河内国若狭郡に生まれ、若年の頃、法相宗の高僧義淵の弟子となり、良弁からサンスクリット語を学び、大和国の葛城山に篭り、密教の宿曜秘法を習得し、数々の霊顕を示しましたが、権謀術数の渦に呑まれ、下野薬師寺の別当職に任じられ、二年後遷化し、この塚に追葬されした。

登ってみたかったが、木が邪魔で無理でした。
こちらのお寺さんに来て、初めて道鏡が都からさりこちらへ、赴任した事を知りました。
子供の頃読んだ、歴史マンガには、天皇を影から操り都から追放された権力欲の高い人物として、描かれていました。
しかし、こちらで伺ったのは、全く違う人物像でした。
各地をご親教・巡錫され、多くの人々を教化し、看病禅師として、栄養不足に陥っている多くの人々の健康を気遣い、身近に手に入る食材で、滋養のある食物を考案したという。
政府による作為政策によるものであると近年の研究により、判ってきたそうだ。
天皇簒奪を考えているのであれば、過去の歴史が示すように、打首か島流しとなっている事。
左遷ではなく、戒律を授ける三戒壇の下野薬師寺という所に、別当(僧侶の長官)職として赴任している事などから、皇位を望んだ話しも、孝謙上皇との親密会虚談も、虚説ではないかと考えられているそうです。
こちらのお寺では、道鏡禅師の顕正を目指す活動をしているそうです。
その土地に、行くことで闇に隠れた真実を知る事ができるとつくづく思いました。
こちらに、参拝できて、本当に良かったと思います










