道を間違え、さまよっていた所、上野三碑の1つ、山上碑にたどり着きました。

石碑の形状が、朝鮮半島の新羅の石碑に類似しており、碑の建立に深く新羅系渡来人が、関わったと推定されている。

碑文には、佐野三家(さののみやけ)を管理した豪族の子女である黒売(くろめ)と、その子である長利(ちょうり)の系譜を述べたのもで、隣接した山上古墳に埋葬されたとみられる黒売の追善供養碑の性格をあわせ持ったものである。
上の子供用の解説板が、解りやすかったので、載せてみた。
群馬県内では、同種の石室のなかでは最も古い7世紀前半から中頃のもので、新しい技術を獲得した佐野三家の族長が埋葬されたと考えられます。
この古墳は、山上碑の建てられた時期(681年)よりも数十年古いため、元々黒売の父の墓として造られ、後に黒売を追葬したと言う。
婚出した女性が、実家の墓に埋葬(帰葬)された事実は、古代家族制度を知るうえで重要な情報です。
この古墳の西方には、よく似た造りの山上西古墳があり、山上碑がある柳沢川の谷が佐野三家代々の王家の谷であった事の示しています。
(上野三碑のパンフレットより引用)
山上古墳の近くには、興味深い石仏・板碑などがあった。
かなり、薄くなっているが、穴から阿弥陀様のお姿を見る事ができる。
他2碑は、見に行けなかったので、高崎駅のレプリカを…(笑)
本物、見てみたいなぁ…











