滝前不動は、我孫子市岡発戸(おかほっと)にある新四国相馬霊場の36番札所である。
久しぶりに参拝した所、前より綺麗に整備され、いつの間にか、駐車場もできていた。
しかし、巡礼道だったこともあり、車道は狭い。

平安時代に、平将門の祖父にあたる平高望王が、上総介として関東に下った際に、手賀沼の畔を馬で通りかかり景色のよい岡発戸の地が気に入り、守護仏としていた不動尊像(空海が遣唐使として唐へ渡る船中で彫り上げた像と伝えられている。)を祀ったことに由来すると言われている。
古代の御堂は、寛和2年(986)の暴風雨で破損したことから、不動尊は我孫子市中峠(なかびょう)の不動尊の体内に納められているという。
滝前の由来となった滝

開発が進みほとんど、水は出ていないが、以前は、干ばつでも枯れないほど、大量の水が丈余の高所から激しい水音を立てて流れ落ちていたと言われる。
倶利伽羅不動明王

安政7年(1860)に建立された。
だいぶ、風化している。
不動堂

手前のパイプは、藤棚
志賀直哉の小説「矢島柳堂」に出てくる藤棚を平成に入り復活させたそうだ。
「矢島柳堂」に『不動の瀧前にある藤棚を見てきてくれ』と言う一文がある。
我孫子に住んでいた志賀直哉ならではの一文では、ないだろうか?
ここの注目点は、鰐口と彫刻である。

鰐口は、成田山新勝寺不動堂の鰐口などの作者で、当時の名工でもある鋳物師 粉川市正によって作られたもので、嘉永3年(1850)のもの。

躍動感のある彫刻である。
篇額の裏には、以前は彩飾が施されていたとわかる部分があった。
大師堂

不動堂周辺は、整備され、心地よい空間になっている。
奥の穴ぼこの空いた地形こそ、水源である。
手賀沼の回りは、こうした水が湧き出している地点が数多く見受けられる。

謎の鳥居

稲荷社がありました。
元々は、下の溶岩のような石の上に祀られていたのではないかと思われる。
右下に狐穴らしきものが、見うけられる。

更に進むと…。
次の札所への道標があるが、この先は、畑になっていて、進むことが出来ない。
かつての大師道のようだ。