二三日前は、あんなに晴れていたのに、凄い雨。
こんなに、富士山が綺麗に見えていたのが、嘘のようですアセアセ


さて、あつぎの文化財一般公開の続き。
三田八幡神社さんのお隣にある睦合北公民館さんで、おトイレをお借りしました。
そこに、良くありそうな石碑が建っていました。

三田八幡神社さんで、説明して頂いた時にも、この石碑の方のお名前が出てきました。

井上篤太郎。

言わえる、地元の名氏。
と、言うには、あまりにも偉大な人です。
県議会議員になった後、京王線の建設や東急玉川線の元となる玉川電気鉄道の取締役などをされています。
こちら、三田地区の生まれで、地元に莫大な寄付をされ、その寄付金で、小学校や橋が建てられたそうです。

実は、この辺りに電車を引く計画を立案したのですが、地元住民の反対にあり、断念したそうです。 電車が通っていれは、本厚木より、発展したかも知れませんねウインク

さて、三田十軒村宝篋印塔 五輪塔です。
こちらは、昨日紹介した安達藤九郎盛長の墓と伝えられています。


しかし、碑文があるのが1基のみ。
「昭林禅門 応永25年(1419) 2月3日」とあります。
しかし、五輪塔などの形状から、室町時代くらいと推定されています。

なので、墓ではなく、供養塔なのではないかと考えられているそうです。

今回、この文化財公開の説明で、関東と関西では、宝篋印塔の形が違うと言う事を初めて知りました。

それだけでも、来たかいがあります音譜

ちなみに、飯山の金剛寺にも安達藤九郎盛長の墓と呼ばれている宝篋印塔があるそうです。

ちょっと離れた所にある聖眼寺さんに向かいます