ここんとこ、調子悪くて良い気を頂きに、比々多神社さんへ。
散布剤、めっちゃ臭い

緑が多いとやっぱり涼しいなぁと思いました。
ゆっくりしたかったけど、仕方なく帰宅の途に…。
伊勢原市 千津ふれあい公園の所の道祖神
伊勢原市 白根の道祖神
前に置いてあるダルマは、なんなのだろうか?
平塚市下島交差点付近の双体道祖神
ダムに沈んでしまった道祖神達の変わりに、新たに使ったのだろうか?
平塚市東中原 いこいの広場
実は、古代の東海道については、あまり詳しい事が分かっていません。
なんせ、律令制度(国分寺が建てられた頃)の時代ですから、おおよそしか分かっていません。
都と国府を結ぶ道に、駅(今で言う、SAとか道の駅みたいな、馬の休憩場所)を約16㎞ごとに作ったのですが、時代により、道路変更があったり、あまりに古く資料がないなど、よく分かっていないのが、現状です。
ここの、東中原E遺跡は、東海道の駅に向かう道があった事を示す貴重な遺跡なのです
伊勢原市に、箕輪駅跡があるのですが、まだ、行った事がありません。
もう少し涼しくなったら、行きますよ
海道の名の通り、下総辺りは水底だったりするので、船を使って国府まで、行っていました。
なので、海道なのです。
ちなみに、柏市逆井駅近くの藤心には「茜津駅」があったとされているが、発掘された訳では無く、市川の国府の距離により、そう言っているだけである。
その次の駅は、「於賦(おふ)駅」であるが、ここの場所も不明である。
ただ、相馬御厨が湖北にあるので、我孫子市新木付近では、無いかと推測されている。
ここから、常陸国の国府に向かうので、布佐の竹内神社辺りから、反対側の茨城県利根町の徳満寺辺りを通り(当時は、地続きであった。利根川が今の様になったのは、江戸時代からである)、延喜式内のコウモウ神社方面へ向かうハズだが、その辺りも全くどの様な道を通っていたのか、分かっていないのが現状である。
この辺は、本当に歴史の宝庫
歴史好きには、堪りません








