霧降の滝より、20分程登っていくと、日之宮山山頂に着く。
途中、ゆるぎの里と呼ばれるところに至る。
春は、菜の花が咲き乱れとても綺麗らしい。
しかし、花は無くとも、此処からの景色は、絶景であった
また、しばらく登る。
この辺から、急になってくる。
土の所を歩いていたら、思いっきり滑った。
ちゃんと登山靴で、行く事をお勧めする
山頂に建つのが、日之宮神社である。
神社名は、山頂に建てられたからだと、言う。
いつ頃建てられたのか不明。
石祠に、文政2年(1819)とあるので、江戸時代には建てられた事がわかる。
明治の廃仏棄釈により、上吉沢の八剱神社へ合祀されたが、水不足に悩む氏子達により、再建され現在に至る。
そして、水不足解消の為に、吉沢池が作られるんですね
吉沢池
i-phonの写真なのが、非常に残念である。
日之宮神社の急斜面をロープ越しに、下っていくとすぐに、目的地 立石に到着する。
大昔、日本武尊という人が大勢の兵士を連れ、駿河から相模へやってきた。大山から下を見渡したところ、南のほうの山で光るものがある。不思議に思い、その地・吉沢を訪ねると、人々が吉沢の山の立石という大石を巻いて根城にするおろちに害され困っているのだった。
尊が見た光は、この大蛇の目が光ったところだったのだ。尊は村人の願いを受け、おろちを討つべく山へ入った。すると、白髭の老人が現れ、自分は山の日の宮という神だが、おろちに封じられ里人は害され困っている、と訴えた。土地の神まで困らせるおろちに尊は怒り、立石に向かった。
すると、戻った日の宮を締め付け苦しめているおろちがいた。そこで尊はおろちの先祖・八岐おろちから素戔鳴命が得た剣・天叢雲剣を抜き、斬りかかった。天叢雲剣はおろちたちが見ると目がつぶれるという剣だったので、おろちは驚きあわて、立石の下の穴に潜り込み、二度と出てこなかったという。
でも、おろちは立石を七回り半まわる者がいたら、穴から出てやると思っているので、立石は回ってはいけないといわれている。
この話から、見えてくるのは、まずご祭神は、日之宮神と言う神様であった事。
立石自体が、磐座で神聖なものであった可能性だ。 私は、この可能性が高いと考えている。
神秘性を感じる岩であった。
日本武尊、あちこちで座ってますなぁ
この辺り、日本武尊の伝承が多いです

この由緒を持って、日本武尊をご祭神としているとある。
歓待したのは、大蛇を倒したからでは、ないでしょうか?
これは、立石の伝承に基づき、彫刻にしたのでは無いだろうか?
見たかった巨石と思いがけない発見と、充実したのは散策でした。












