昨日の続き、亀有香取神社さんです。
摂社のかつて企業にあった稲荷社に、思う事があり、別にしました。
正式に、亀有と言う名が出てくるのは、江戸時代正保年間に入ってから、そう言った記述が出てきます。
この神社は、まだ亀無村だった時代、鎌倉時代建治2年に、香取神宮の神領地であった事から、この地に本宮の御分霊をしたそうです。
その後、東国3社の鹿島神宮、息栖神社の2神を合わせて祀り、三社明神として、村人、近隣の人々を守ってきました
亀有香取神社には、多くの摂社があります。
招魂社
かつて、金町にあった製紙工場の跡を歩いた際、ポツンと放置された荒れてしまった稲荷社があり、悲しい思いをしました。
こちらは、日本板紙(株)亀有工場閉鎖に伴い、工場内にあった稲荷社を記念碑と共に、こちらに移したそうです。
こうあって欲しいなぁと思いました。
神様なのだから、これまで、ずっと見守ってこられた神様を企業側も、考えて欲しいと思います。
取手の戸頭のイオンの駐車場横の稲荷社とか、柏そごうの屋上の伏見稲荷さんとか、その後どうなっているんでしょうか?
きちんと、お参りできると良いのですが…。
ちなみに、金町とか亀有に製紙工場が作られたのは、川があったからです
紙の原料となる木材をかつては、川より運び入れていたので、製紙工場など、紙に関わる工場は、川の側にあるんだそうですよ
7/23 22:35 生保年間を正保年間に訂正







