現在の小田原城の地図です。
こちらの神社さんの詳細は、また後程
南曲輪方面より、報徳二宮神社さんへ行くと…
今は、水がありませんが、本来は、この場所は、水堀でした。 地図を比べて頂くとわかりやすいと思います。
なかなか、見応えがありました。
もうちょい、安ければ良いのになぁと…
天守閣は、単なる小田原の博物館状態で、がっかりした記憶があります
御用米曲輪
御用米曲輪
出来上がったら、また見に行きたいですね
南曲輪
右手の石垣部分が曲輪になります。
現、町名も弁天町なので、何処かにあると思われます。
三の丸元蔵跡
現在の地図の朝丘高校の斜め向かい、線路よりにあった、小田原城案内板
その配陣がこちら
海上の左側、九鬼嘉隆の軍は、鉄甲船という木の船に鉄板を張り付けた船で、世界的にも相当な技術であったようで、鉄甲船に乗ったポルトガル人が肝を潰したとの記述が残っている。
九鬼家は、関ヶ原の戦いの際、西軍に着いた為、鉄甲船を危険視した家康により、海の無い国へ配置換えとなった。
これにより、技術は完全に廃れてしまい、黒船襲来時に、大騒ぎとなってしまう。
この時の技術がずっと生きていたなら、日本は、変わっていたかも、知れません
一夜城(石垣山城)は、近いのかなぁと思ったら、小田原城がかなりの規模だったので、駅2つ分くらい離れています














