金吾龍神社 東京分祀さんと同じ駅、南新宿駅からほど近い場所にある平田神社さんです。
金吾龍神社さんとは、反対方向にあります。
江戸後期の国学者。通称は大壑(だいがく)。
秋田藩士だったが、20歳の時、脱藩し江戸へ。備中松山藩士 平田篤穏の養嗣子となる。
本居宣長に生前入門したとされる。宣長の学問を古道学と規定し、後継者を自称した。
宣長が、古道を古代の事実としたのに対して、篤胤は、現実的規範とするなど、思想、学問の性格に違いは大きい。
しかしながら、彼の思想が尊王攘夷運動に大きな影響を与え、やがて明治に入り、神道信仰を尊ぶ風潮となり、廃仏棄釈と進んでいく。
国学の四大人の1人と崇められ、没後に神霊神柱大人(かむたまのみはしらのうし)と言う謚号霊神号を賜った。
明治元年 東京柳島横川町(墨田区)に平田家邸内社として、創祀。
明治14年11月 明治天皇の御下賜金をもとに、東京小石川第六天町(文京区)に遷座。
昭和34年11月 現在地に遷座。現在の建物は、昭和62年に造られたものである。
御朱印は、神代文字で書かれたものと平田神社と言う普通の御朱印があると聞いていたのだが、現在は、神代文字の方しかないと言われた。
御朱印代300円
天之御中主神・高皇産霊神・神皇産霊神という所謂造化三神の御分霊が各人の中に宿るとし、人為を加えず神の御心のままを体現する「惟神(かんながら)の道」を説いた復古神道に因むと思われる。
神代文字の御朱印は、珍しい。
私の知っている所では、栃木県小山市の下総国延喜式内社の高椅神社の印くらいかな…。
一度伺ったんだけど、いらしゃらなかったので、いつかまた行きたいなぁと思ってる神社さんです。 ちなみに、料理の神様なんですよ

