有鹿神社の奥宮の別れ道に戻り、勝坂遺跡公園を目指します。

せっかく、来たのだから色々楽しまなきゃ損爆笑
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この勝坂地区は、お寺や遺跡の看板があちこちに立っており、散策コースとなっているようです。

今向かっているのは、勝坂遺跡(D区)。
上の看板では、見づらいので頂いた地図で、位置関係を把握したいと思いますカナヘイうさぎ
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右下に有鹿神社の名がありますねウインク
緑色の部分全てが勝坂遺跡公園(勝坂遺跡D区)となります。
当然、D区と言う事は、A〜Cもあったハズです。
かなり大規模な遺跡であった事がわかりますカナヘイうさぎ

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すご〜く広いでしょう音符

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道をショートカットして、最初に見たのは土葦の竪穴住居。
土が被さっているものは、下総辺りでは見た事がありませんびっくり

保温性に優れているので、冬場の住居として考えられているそうです!

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次は、こちら。笹と葦が使われている竪穴住居。
全国的にも珍しいそうですカナヘイびっくり

こちら遺跡では、80軒以上の竪穴住居が発見されたそうですが、同時期のものではなく、葦の耐久年数が短いので、ダメになったら別の場所に移す事を繰り返して来たそうです。
この公園には、あちこちに窪地があり、移転した後は、ゴミ捨て場として使われていたようで、大量の土器や石器が出土したそうです照れ
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パンフレットより

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これまた、私が初めてみた住居跡
縄文時代中期〜末期のもので、柄鏡の形に石を敷いた住居(柄鏡形敷石住居)です。
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所違えば、生活様式や住居、土器に至るまで変わってくるんだなぁと実感致しましたお願い


上の看板にあった旧中村家住宅と石楯尾神社(石は本来の字は、異体字で石の口部分にヽがはいる)
が気になるので、行ってみます。

石楯尾神社(イワダテオ神社)と言うくらいだから、磐座とか期待しちゃうラブ

旧中村家住宅に行く際、勝坂式土器発見の地の看板を発見しました。
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縄文時代中期を代表する土器なんだそうです。
全国的にその名前が知られていると書いてあるが、埴輪には興味あったが、土器にはそんなに注目して無かったよガーン
違いあったのねあんぐりうさぎ

今後、しっかり観察してみます気合いピスケ

この土器は、勝坂遺跡A区の近くから出土しています。
しかし、A区は、たんなる野原で、入れませんでしたぐすん

B.Cは、何処かもわかりませんでした。