吉川市平沼にある芳川神社さんです。

平沼の地名は、辺り一帯が沼地であった事によると言う。 その中でも、一番高い場所にあるのが、芳川神社さんである。
文治3年(1187)、吉川氏を称する武士団が諏訪社を祀ったのが、始まりとされている。
しかし、吉川氏に関する情報は、ほとんどない。


一の鳥居
額の辺りが変わってますねおねがい
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拝殿
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現在の宮司は戸張氏で、柏市戸張(国道16号柏トンネル付近)にあった戸張城主であった一族が、主家である千葉氏の敗北によりこの地に、やってきたと伝えられている。
戸張氏は、平将門の後裔と伝え、武神諏訪神社を勧誘したのだろうともいう。

戸張家には、今も将門、千葉氏に関する色々な伝承が残っている。

●平将門は、俵藤太によって討たれた時、正月にかかっていて雑煮も作れなかったので、その後も正月に雑煮を食べない。

●将門の娘が南天の木の下で殺害された為、縁起が悪いとして、祝い事に南天は使わない

●主家の千葉氏には、名前に、胤の字が入っていたので、子孫は胤の字を受け継ぐ。
吉川市前市長 戸張胤茂にも、胤が入っている。
(吉川市史 民俗編より)

昔の諏訪社の名残りが境内に残っている。
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鹿頭大明神(ろくとうだいみょうじん)
他の摂社は、南東に向いているが、この鹿頭大明神だけは、西北の方角を向いている。
この方角は、諏訪大社の方角であるとされているおねがい

信州諏訪大社では、特殊神餞として鹿の頭を供える。 これは、諏訪大社の元々の土着の神であるミシャグチ神、蛇神ソソウ神、狩猟の神チカト神、石木の神モレヤ神の鹿食神事から来ている。 

現在でも、諏訪大社において鹿食免というものを頂ける。
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これは土着の神の信仰と仏教が混じり、殺生を罪悪として狩猟を忌み嫌う時代にも、お諏訪さまから神符を授かった者は、生きる為に鹿肉を食べることを許されました。

これにより、肉が食べたい!各地の武将が、諏訪社を多く勧誘します  笑
そうして、諏訪社が増えていったのです。

摂社 八坂神社
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こちらの神社の八坂祭が有名で7/15に近い、金土日曜日と3日間行われる。
町内に注連縄張りをする。まるで、結界を張っているみたいにみえる。
注連縄張りをした区域を暴れ神輿と言われる神輿が練り歩く。
甚句のメロディーに合わせて、神輿を上空に投げ上げるのだそうだ。それで、暴れ神輿と言う。

摂社 古峯神社
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下妻街道沿い、神社裏にある御神木
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御朱印代300円
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民俗編のぞくの字が、族になっていましたショボーン
すみません。