息子がお空に還ってから400日が過ぎました。



息子のことを思い目を閉じると、呼吸がゆっくりと深くなる。胸のあたりには私のココロがあって、カタチはその一部分に息子がいてくれてる。



在るのだと感じます。そう感じるようになってから400日なんだね。



母のケアもしながら暮らそうと思っていた自宅とは別の場所で、月の半分以上を過ごしています。母が外泊する時は一緒にそこで過ごします。


だから、地元の人に会う事は、ほとんどなく生活しています。



先日、用事があって地元の公共施設に行きました。息子の同級生の保護者の方がいたように思います。


そんな時、やはり遭遇したくないなーと。
正直な気持ち……がぽわっとココロから出てきました。


その方には、息子の制服のお下がりを譲ってほしいと言われて制服を譲りました。それきり、会ってはなくて…あの制服…どうされたのかなぁ?
ふと、そんなことを思いました。



やはり、どんな心持ちで会って話せばいいのだろう……って思いますね。



なるようにしかならないし、心配して過ごしてる訳では無いのですが、意識せずにいるのがいいのでしょうね。



ゴミ出しの時も、子どもさんをなくしてるんだって見られるのも複雑な感じで…知り合いのいない場所では、ゴミ出しに行くのも心が軽いのです。



最近、障害を持たれてる方や不登校でコミュニケーションを取るのが苦手な方々のサポートをされてる方にお会いする機会がありました。



その方に、「お子さんは?」と聞かれました。
「2人なんですが、昨年、息子がなくなりました」と答えました。


「そうだったの………ごめんなさい
と、言われましたが、嫌な感じがしませんでした。その方のやさしさが伝わってきたからなんだと思いました。



心から寄り添ってくれる方と話してる時には、心が曇らずに笑って話し合えます。後からも、なにかが引っかかって思い返すこともありませんでした。


違和感を感じない方とお付き合いしてゆけばいいんだと思うんです。もし、話していて何か違和感を感じる時も相手が悪いのではなくて、合わないだけなんでしょうね。



余裕がなかったり、若かりし頃はそれが苦しい時もありましたが、つらいできごとがあって、その度にホントのやさしさが見えてきました。



知ってる方に遭遇する事があっても、ふつうに挨拶できたらいいかなぁ。会釈でもいいですよね。



ささやかな楽しみがいくつかあります。ひとつは、テレビで野球観戦です。



息子が入院していた時は、病院のテレビに長いイヤホンをつけて、2人で片耳ずつで応援していました。



いつも、一緒に観てると思います。



読んでくださってありがとうございます。



穏やかな週末をお過ごしくださいねコーヒー



ᵗʱᵃᵑᵏᵧₒᵤও