東北大震災直後の平成23年3月27日君は逝った
君が天上の人となり6年の歳月が流れる。
あの時の思い出が走馬灯のように浮かび、まるで昨日の出来事のようにあざやかに蘇る。
意気軒昂として目を輝かせ東京から帰ってきた。
自信に満ちながらも謙虚な姿勢での対応に大人を感じたし、頼もしく感じたのは
親の贔屓目かもしれない。
しかし、そんな気持ちもわずか数カ月で終わってしまった。
一緒に生活するようになって2カ月余・・・
私の退職記念にと秘かに友人らとDVD制作中、異変に気づいた友人からの連絡でかけつけると意識の混濁を確認。すぐさま救急車を呼び荒尾市民病院に入院。
その夜対応に当たった医者からは、
「何らかの障害は出るかもしれないが命に別条はない」との説明を受け一端帰宅。
しかし翌朝病院にいってみると昏睡状態に陥っており、
そのまま深い深い永遠の眠りについてしまった。
4月からIT・環境・健康関連事業の「株式会社マリブクラフト」設立の準備に余念がなく、
商工会議所主催の起業塾の参加、会社組織・定款の作成や事業内容現場検証等、
様々な事柄に果敢に挑戦していた。
そんな矢先の出来事であった。
私は長男の名前は「魁」(かい)とつけたかった。
理由は単純で青春の精力を傾けた市民吹奏楽団大牟田奏友会に因み
長女奏子
二女友紀
長男魁
で“ソウユウカイ”としたかった。
しかし、私以外は猛反対。
自分の趣味で子に恥をかかせるな、との声に押し切られ断念した経緯がある。
何故、耕造としたか。
畑を耕す。
世の中を耕す。
心を耕す。
そう、耕し新たな創造をする人にという願いを込めた。
君は26年余という人生としては短期間ではあったが、
その命名に恥ずかしくない生涯をおくってくれたかなと感じている。
今、私はゼロファーム農園で百姓見習いとして畑を耕している。
畑の作業ばかりでなく、安心安全の食育や農作業体験での居場所づくりなど、
地域づくりのひとつとして細々ではあるが志を高く持って、
人生第2ステージを過ごしている。
百姓見習いとしてゼロからのスタートであるが、
ひょっとしたら君がやろうとしていた事と相通じるものがあるのかもしれない。
私は耕造の命名者として息子に負けないよう心して取り組まなければならない。
天上より暖かく、そして厳しく見守って欲しい。
耕造の七回忌を迎えるにあたり、改めて誓いを込める。
(耕造桜)
合掌



