生理が近いこともあって、もう精神不安定半端ない!!!
憂鬱日記2投目。今日&今考えてること、書かないとおかしくなりそうなので・・・
自己満足なのでスルーしてくださいヽ(;´Д`)ノ面倒くさいやつでごめんなさい。
夏は暖かいから大好き。寒い冬はどうしても好きになれない
でも。
今はさすがにしていないけれど、左手は無数のリストカットの痕が残っています。
家族にもさすがに申し訳なくて、夏の間中サポーターで隠してます。
今、紫外線カットのために真夏でも手袋をする人が増えてくれて助かった・・・っていう感じ。
どんなに暑くても、手袋かサポーターははずせない。
不安と後悔。
ここからは少し過去の話になります
父が死ぬとわかった時、私は父にリストカットをしていたことをを告白した。
実にむごいことをしたと思っている。 死に行く人間に、自ら命を絶とうとしたことを告白したのだから。
ましてや娘である。
このときの私はそんなことは考えていなかった。
ただ自分を見放した父が憎かった。父方の祖母も憎かった。
父は泣いて「気づいてやれなくてすまなかった」と私に謝った。
そのときはああ、やっとわかってくれたんだ・・・っておもったけれど
結局わかってくれることはなく、相変わらずの仕打ち。
2度目の奈落に落とされた私は、もう這い上がれないほどに落ちていった。
手首だけだった切り傷は、深く、広範囲に広がっていった。
父が死んで、少し楽になったけれど、でも急に開放されてしまって今度は自分がどこに身をおいていいかがわからなくなっていた。
父は嫌いだったけれど、大好きで、父に認められたくてがんばって、すべては父で世界が回っていた私にとって、父が唯一であり、父の評価が自分の評価だった。
それがいなくなり、私は私を認知することが余計にできなくなったのである。
病気はひどくなる一方だったけれど、そんな私をずっと旦那は支え続けてくれていた。
いろいろな場所へ連れて行ってくれたし、どんなにひどい言葉を浴びせてもニコニコとして結婚しようとまで言ってくれた。
だんだんと自分の居場所はそこにあるんだと認識できるようになって、すこしづつ切らなくなっていった。
あるとき、プールに行ったときのこと。
私の後ろに並んでいた2年生くらいの少年に
「ねぇ、その手どぉしたの?痛くないの?」
と聞かれたことは忘れようにも忘れられない。
この少年は、単純に私が怪我をしていると思って発した言葉だとおもうけれど
だから子供というのは純真無垢で、無知であるんだと。それが子供なんだと。
とても純粋な彼に言われた言葉は、どんな大人から言われた言葉より心に響いた。
その頃は子供なんて考えてもなかったし、結婚もしていなかった。
でも、いま子供を考えるにあたって、いつしかあの少年のように、
自分の子供が聞いてきたとき私はいったい、なんと答えればいいのかがわからない。
子供を意識したときから、どういうかずっと考えてきた。 でも答えが出ない。
小さいときならば、いくらでも言い訳もできるだろうけど、大きくなって、物事がわかるようになって、ましてや思春期になった頃。
子供は私を見てどう思うのだろう。
気持ち悪いって思うのかな・・・
これは私が生きてきた証だし、生きるためにはこうするしかなかったのだけれど
そんなことは他人にはまったくもって関係のないことで。
自分を傷つける気持ち悪い&頭おかしいやつ。としか思われないのだろう。
いつ子供ができるかもわからないけれど
こんなので母親になっていいのだろうかとはいつもいつも考えてしまう。
この先もきっと偏見はつきものだろう。
これではなれていく人がたくさんいたし今更驚いたりはしないけれど
自分の子供が、私のせいで偏見されるのはいやだなって。
もうどうがんばったって、綺麗にはならないけど。
こんな私でもどうか
がんばって良いお母さんになるから
あなたを私のような思いには絶対させないから
帰ってきて。。。
憂鬱日記2投目。今日&今考えてること、書かないとおかしくなりそうなので・・・
自己満足なのでスルーしてくださいヽ(;´Д`)ノ面倒くさいやつでごめんなさい。
夏は暖かいから大好き。寒い冬はどうしても好きになれない

でも。
今はさすがにしていないけれど、左手は無数のリストカットの痕が残っています。
家族にもさすがに申し訳なくて、夏の間中サポーターで隠してます。
今、紫外線カットのために真夏でも手袋をする人が増えてくれて助かった・・・っていう感じ。
どんなに暑くても、手袋かサポーターははずせない。
不安と後悔。
ここからは少し過去の話になります
父が死ぬとわかった時、私は父にリストカットをしていたことをを告白した。
実にむごいことをしたと思っている。 死に行く人間に、自ら命を絶とうとしたことを告白したのだから。
ましてや娘である。
このときの私はそんなことは考えていなかった。
ただ自分を見放した父が憎かった。父方の祖母も憎かった。
父は泣いて「気づいてやれなくてすまなかった」と私に謝った。
そのときはああ、やっとわかってくれたんだ・・・っておもったけれど
結局わかってくれることはなく、相変わらずの仕打ち。
2度目の奈落に落とされた私は、もう這い上がれないほどに落ちていった。
手首だけだった切り傷は、深く、広範囲に広がっていった。
父が死んで、少し楽になったけれど、でも急に開放されてしまって今度は自分がどこに身をおいていいかがわからなくなっていた。
父は嫌いだったけれど、大好きで、父に認められたくてがんばって、すべては父で世界が回っていた私にとって、父が唯一であり、父の評価が自分の評価だった。
それがいなくなり、私は私を認知することが余計にできなくなったのである。
病気はひどくなる一方だったけれど、そんな私をずっと旦那は支え続けてくれていた。
いろいろな場所へ連れて行ってくれたし、どんなにひどい言葉を浴びせてもニコニコとして結婚しようとまで言ってくれた。
だんだんと自分の居場所はそこにあるんだと認識できるようになって、すこしづつ切らなくなっていった。
あるとき、プールに行ったときのこと。
私の後ろに並んでいた2年生くらいの少年に
「ねぇ、その手どぉしたの?痛くないの?」
と聞かれたことは忘れようにも忘れられない。
この少年は、単純に私が怪我をしていると思って発した言葉だとおもうけれど
だから子供というのは純真無垢で、無知であるんだと。それが子供なんだと。
とても純粋な彼に言われた言葉は、どんな大人から言われた言葉より心に響いた。
その頃は子供なんて考えてもなかったし、結婚もしていなかった。
でも、いま子供を考えるにあたって、いつしかあの少年のように、
自分の子供が聞いてきたとき私はいったい、なんと答えればいいのかがわからない。
子供を意識したときから、どういうかずっと考えてきた。 でも答えが出ない。
小さいときならば、いくらでも言い訳もできるだろうけど、大きくなって、物事がわかるようになって、ましてや思春期になった頃。
子供は私を見てどう思うのだろう。
気持ち悪いって思うのかな・・・
これは私が生きてきた証だし、生きるためにはこうするしかなかったのだけれど
そんなことは他人にはまったくもって関係のないことで。
自分を傷つける気持ち悪い&頭おかしいやつ。としか思われないのだろう。
いつ子供ができるかもわからないけれど
こんなので母親になっていいのだろうかとはいつもいつも考えてしまう。
この先もきっと偏見はつきものだろう。
これではなれていく人がたくさんいたし今更驚いたりはしないけれど
自分の子供が、私のせいで偏見されるのはいやだなって。
もうどうがんばったって、綺麗にはならないけど。
こんな私でもどうか
がんばって良いお母さんになるから
あなたを私のような思いには絶対させないから
帰ってきて。。。