昨日は、ウード奏者 常味裕司さん&ギターの明石先生のコンサートに行ってきました 
< ウード。 顔のようにみえますが、精緻な透かし彫りです >

技術と情熱があふれ出る演奏は素晴らしかったですし、常味さんの 「ミニ・アラブ音楽講座」 楽しかったです。
アラブの古楽器で、ギターや琵琶のご先祖様 「ウード」。
「木、木片」 という意味だそうですので、きっと 「wood」 ですね。
ヨーロッパの 「リュート」 は、「アル・ウード」 がなまって 「リュート」 になったという説も。
ウードはフレットレスで、「ド」と「レ」の間に9つの音があるというので、ギターとのduoではギターの音階に合わせてるのでしょう。 逆に、微妙が “ずれ” が気持ちよかったりもします。
常味さんのお話のなかで、いろいろと考えさせられるものがありました 
ウードは元々楽譜ではなく口頭 (先生が弾くのを真似する) で伝えられてきたが、楽譜に残していく必要があるのではないか、ということで最近 ― といっても20世紀前半 ― 5線譜を使って楽譜化していった。
そうしたら、楽譜に残せないようなことが抜け落ちてしまって問題噴出!
・・・・なんだそうです。
100%の後継者が1人と、70%の後継者が10人 (か100人) のどちらかになってしまうということなのかな。
でも、演奏者がいなくなってしまうよりマシ?
むしろ今の方が、3DでVideoに撮るとか、高品質で録音するとか、楽譜より正確に残していけそうな気もします。
カメラでもそうだよなぁ~と思うのが、プログラムモードや多点オートフォーカス等、確実に“失敗しない写真”が撮れるように、各メーカさんは様々な機能を盛り込みますが、その結果、誰が撮っても似たような写真になるわけです。それを目指したのだから成功なのでしょうが、記録としての写真はともかく、表現という意味では寂しいですよね。
あああ、アルハンブラ練習しよう。