私にはヒトには見えないものが見える
それに気付いたのは、いつだっただろうか。
水玉のセカイ
雨が降っている、そう思って
傘を持って出たのに
外は晴れていた。
「何時もの事ながら、目、悪すぎよね」
私の言うことを信じて傘を持って出た茜さんは
怒るというよりも、賞賛の眼差しで私を見た。
「すみません…。持って上がって来ます!」
「別にこのままでいいけど? それより早く行きましょ」
茜さんの傘を手に取り、走って会社に戻ろうとする
私を制し、茜さんは目的地の方を見る。
「でも、邪魔じゃないですか?」
「この傘がキロ単位の重さならジャマね。
コレそんなにないもの」
そう言って茜さんは、さっさと歩き出す。
涼しい顔して子どものように
傘の先をガーガー引きずっている。
やっぱり傘を置いてきた方が
良かったのではないかと思う。
「セカイが水玉ってどんな感じ?」
唐突に茜さんが尋ねてきた。
「水玉っていうか、砂嵐に近いんですけどね」
自分の見えるモノについて、ヒトに語るのは
ちょっと難しい。
朝も昼も夜も、明るさも暗さも関係なく
私が見る世界には赤や青の点が
広がっている。
それは暗闇の中にいるとよくわかる。
目をつぶろうが、開けようが関係ない。
私が意識を手放さない限り、
私の前には点が広がっているのだ。
砂嵐を見るかのように。
「でも、きちんと物は認識できるのよね?」
「水玉模様のレンズのサングラスを
かけているみたいな感じですかね。
夜の方が点はっきり見えますけど」
「面白そうね。あたしには全くそんなもの
見えないな。両目2.0だから何でも
くっきりはっきり見えるのに」
「そんなに面白いモノではないですよー。
どっちかって言うと邪魔だし」
物心ついた頃から点が広がる世界を
見てきたため、点がない世界は考えられない。
一度で良いから点がない世界を見てみたい。
点が消えない限り、私は真の暗闇を体験することは
できないのだ。
暗闇にたくさんの点が広がるのは綺麗というのには
かけ離れている。
星やイルミネーションのように
煌めいているわけではないのだ。
「あたしは見てみたいけどなー。
由紀ちゃん視力どれくらいだっけ?」
前にもこんなやり取りをした覚えがある。
茜さんはその時も、ヒトには見えないものが
見える私を羨ましそうに見ていた。
こんな反応を示すのは今まで2人しかいなかった。
何だか、こそばゆい。
「0.1もないですよー。0.05もないかもしれない」
「何したらそんなに悪くなるの?
裸眼じゃ生活できないわね」
茜さんは指で指すのではなく、傘の先を私に向け笑う。
冷静でクールな容貌から打って変わり、
イタズラをした子どものような笑みが、
同性ながらもその彼女の魅力にクラッとくる。
「けっこう不便ですよ。窓の外は雨が降っているようにも見えるし」
「そんなに害はないじゃない。眼病ってわけじゃないんでしょ?」
「それが検査してもらったことはないから、よくわかんないんですよね」
「ものすごい近眼による影響なのかしらね?
それだったら、あたしには見えそうにないもんな」
茜さんがちょっと悔しそうな顔をする方が、
私にはわからない。
何故、彼女はこんなにも私が見えるモノにこだわるのだろう。
見えたとして、得はいっさいない。
暗闇の中で、見えたとしても光源にはなり得ないため
光がなくても物が見えるわけでもない。
「ヒトが欲しがるモノなんかじゃないですよー」
おどけて私がそう言うと、茜さんはきょとんと、
「ヒトには見えてないからいいんじゃない。
皆に見えるなら羨ましくもなんともないわ」
いつもは然程笑わないのに、茜さんは今日はよく笑う。
それも私のつまらない目の話で。
思わずつられて私も笑ってしまう。
「あ、雨」
手のひらを返し、雨の雫を受ける。
「狐の嫁入り。
傘持ってて良かったわね。由紀ちゃんの目のおかげ」
透明のビニール傘を広げ、雨が落ちるのを見ながら
茜さんは歩く。
何かにぶつかるのではないかと、見ていてハラハラする。
でも、前が見えているのかスイスイと軽い足取りである。
「あ、ねぇ。もしかして…水玉のセカイってこんな感じ?」
頭上の傘を見て思いついたのだろう。
傘をこっちに寄せながらたずねる。
水玉のセカイか…。
今までそう感じたことはないが、
楽しそうに、私の見えるモノについて考える
茜さんを見ているうちに
自分の見えているモノが好ましいモノに思えてくる。
水玉のセカイ。
私と同じモノを見ているヒトはいるのだろうか。
そんな綺麗なモノでもないけど
私たちは水玉のセカイにいるんだって
話してみたいな。
「もっとひとつひとつが大きい?
細かいと物が見づらそうな感じね」
「物を見るには関係ないんですってばー」
「それがイマイチわかんないのよー」
茜さんは傘を顔面に近づけて、こっちを向いた。
彼女の真剣な顔が、おかしくて
思わず私は吹き出してしまった。
私の世界は今日も楽しい。