虹
朝っぱらから子どもの声がうるさい。
マンション住民専用の遊び場は、朝から大人気スポットらしい。
4階に住んでいるせいか、外からの音がよく聞こえる。
仕事が早番の朝は、弁当作りに時間を追われる。
のんびり朝を過ごせる遅番の日の方が多いため、
早番の朝は、透子にとっては戦場。
時間との戦い。
イライラしながら目玉焼きとにらめっこする。
本当は玉子焼きを作りたいところだが、
時間を考えると 目玉焼きの方が簡単で
手間がかからない分、作りやすい。
けれど、ちょっと固めの半熟を作りたいがために
あまり目が離せない。
朝から騒ぐな! こっちの身にもなってみろ。
心の中で、外でぎゃーぎゃー騒いでいる子どもに毒づく。
いつもは気にはならない子どもの叫び声やら、
はしゃぐ声が何故か耳に入る。
イライラしながら時間を確認し
ゆっくり朝食を取る時間はないと悟る。
ようやく弁当作りを終え
透子はメイクをしながら慌しくトーストを齧る。
「朝からうるさい」
今にも外へそう叫びそうなくらい
不機嫌そうに透子の母親が呟く。
「だよね。最近やたら子どもが増えた気がする」
時間の都合上、アイメイクを途中のまま諦め
透子は母親と向き合った。
「そうよね…」と、母親は何かを考え込む様子を見せたが
時間がないと気付いた透子はすぐに立ち上がった。
素早く身支度を整え、リビングを後にする。
母親の「いってらっしゃい、気をつけて」という声を背に
「いってきます」と玄関のドアを勢いよく開ける。
なかなか降りてこないエレーベーターにも腹立ちながらも
外に出てみて子どもが騒いでいた理由がわかった。
空には今まで見たことがないくらいの
大きな虹が架かっている。
思わず見蕩れ、感嘆の声をあげる。
あれほど騒いでいた子どもは興味が失せたのか
遊具で遊ぶのに夢中になっている。
自転車に乗り、虹を追いかけるように走らせる。
通学中の小学生が勝手気ままに散らばって歩いているため
その脇をすり抜けるように駆け抜ける。
すっかり慣れている透子の目線は、主に虹へ釘付けられている。
信号で止まると、コンビニエンス・ストアの看板の向こうに
虹が見えるようになった。
青を基調とした看板に、よく映える虹に透子は満足げに微笑む。
コンビニエンス・ストアから連れ立って出てきた
サラリーマンとOLが、前の信号を見ずに斜め上を向いている
透子につられて上を見たがすぐにその目線を前に戻す。
その様子を視界の端で捉え、透子は少し哀しくなる。
いつか自分にも、虹を見て感動できなくなる日が来るのか。
それはいつのことだろうか、そう考え少し涙が滲んだ。
そんな大人にはなりたくないもん。
20歳を越えながらも、まだまだ自分は子どもであると
透子は自覚している。
20歳は大人であると憧れた子ども時代に
懐かしさを覚えつつ、信号を確認する。
視線を前に戻し、自転車を走らせる。人通りはほとんどない。
横の車道にはたくさん人が詰まっているのに
透子の行く道には人が全くいない。
次の角を曲がればもう虹は見えなくなる。
別れを惜しむように虹から視線をはずし前を向いた。
今自分は虹を背にしている。
それを意識して進む人はどれくらいいるのだろう。
そんなことを考えながら、透子はまっすぐ進んで行った。
今度はいつ虹が架かるのか、ひとつ楽しみを増やして。