熊が、人間を大型の哺乳動物で抵抗力も弱く狩りやすい獲物と認識するようになった。
今回の捕食される前に駆除されたそうですが、
現場の熊が親子だったので、子に餌の味を憶えさせるために行動したところのようです。
襲われる前に、クマが人間を追尾する様子だったことからそう考えていいでしょう。
人間が特別な存在でもない、もちろん認識もしない野生動物にとって敵か獲物という区別しかないのが普通なんでしょう。
人間の考える優位など野生動物に通用しない。
クマが、この事案などで学習したかどうかが今後の被害傾向を左右するでしょう。
これまで小型獣や草食のみ雑食など傾向の動物が人間を忌避して離れてくれていただけ。
それで自然界を制したつもりの無知が招いた。
頻発する野生熊の事件が、どこか人間同士の犯罪にも共通項を提示しているではないか。
犯罪者も社会で獲物を狙うように弱者を騙し貶め殺害まで平気で行う、その利益がどこに吸収されているかも不問とされている。
一般人なら見殺し、余程の地位がある人間しか守られも解決もしてくれない。
そろそろ死活問題で自衛権を発動する賢明な人間も現れるだろう。
狡猾な犯罪者も熊も消せば?いなくなる。
こういう危険思考に社会が扇動されないように注意したいものだ。
さて今後は?
クマの捕食対象に、ニンゲンという対象が増え
飢餓が訪れれば、匂いを辿り襲撃すら危険。
栄養素の塊のような哺乳動物を空腹なので捕食する行動論理が定着しつつあるのは確かです。
無暗に人が自然界を散策するという行為も荒らすのと変わらないわけですね。
これで大人しい熊を処分とか、危険視して過剰に狩るのも身勝手な人間の意識に問題点。
逆に銃砲の所有者を認め増加させて、別の諸問題を引き起こす因子が浮上する。
(これには後述として別件で説明したい。)
学者も研究家や専門家を名乗る人間も多い。
21世紀、しかも文明国を気取りながら熊にすら有効な対応論が無策なのは何故?とも思える。
社会経済繁栄の陰で、片手落ちだらけ、異常な団体に国費まで貢ぎ国政も腐敗の巣窟。
何の頭脳も使わない怠惰な人間が、豊かさと踊り興じた末路が野生動物すら征することが不能。
お笑いなのは、内容の無い漫才で道化の意見を通す愚かさでなく知性の欠如を憂うべきだ。
驕り昂ぶり怠けて病弱な無恥の踏み荒らす社会が野生よりも危険な状態にされ、巨悪が犯罪の暴利を着服し隠蔽することのみ必死の社会構造。
こうなると野生熊も天罰
ニンゲンの愚かさに鉄槌
と謙虚に受け止める思考
のほうが解決策に至りそ
うである。
確かに皆さんが言うように動物である。
その知能が高いはずもない、だから人間も餌。
日本にいないトラやライオン、鮫やワニすら
捕食に襲われれば、誰も抑止などできない。
海外の事情は、もっと深刻な背景を持つ。
最近は、山岳登山で簡単に遭難したり問題視。
軽率に山に入り、己の都合など通用しない。
そんなことも影響しているのではないか、
公園を散歩しているのと訳が違う認識が必要。
お遊び気分で侵し、手痛い目に遭う日本人。
大自然と向き合う対価を気安く考えすぎかも。
異常な団体に扇動され、恫喝と中傷に狂う羞恥心の堕落を気付けず。
遊び惚け怠惰な犯罪崇拝の日本も
地鳴らしの兆候が起き
て不思議ないのだ。
アンチテーゼは語る。
または、特定に人間集団が、国内に不安意識を植え付けるために熊騒動を仕掛けていると考えるのも冷静なことである。
イノシシ被害の多発で、ある程度なら人間の仕業で可能と推定。
世界の歴史的な戦略では、混乱をさそうために野生動物を嗾ける戦法は実に多いのだから(日本でも火牛の計など)。
ギリシャ、ローマ時代の大昔にも天然痘の死者を遺体ごと敵陣に放り込み、感染暴露や混乱を狙う戦術が記録される。
最古の生物兵器という訳か?、昨今の感染禍が皮肉に映る。
発生時期が集中しているのが人為的と考える根拠。
何のためか? その事件に人々が集中している隙を狙い社会の富を奪い支配者にならんと狂い踊る習性をプロファイリングした結果から指摘しています。
日本で支配を目論む巨悪が、唯一の邪魔が民主政治の存在。
安定した社会秩序を破壊して権威を牛耳りたい集団が隠匿する。
情報社会を捏造と隠蔽が横行し、とっくに正常な情報がロスト。
警戒して損の無いことだけが確かな知見だ。
どんな問題であろうと、軽率に感情論にならず緻密に思考する習慣を求めたい。
彗星画廊☆写真集 HP
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知恵ある人間ならば
火牛とて制圧するが
軽挙妄動を慎むことこそ
悲壮感の熊騒動被害を鎮圧し
解決の糸口と言える。
浮足立つな鍛えよ
そして戦うことが生存権。