THE DAY AFTER

 

能登半島を破壊した水害から

ひと月が経ち…

 

 

 

天空を割り滝のような豪雨が次々と民家を押し流した。

どこを走るクルマも道路は泥水に沈み、水に弱い小動物は逃げ遅れて溺死していった。

 

もちろん人間の生命も儚いほどに掻き消されていった。

 

 

 

未曾有の水害から回復した現在も汚れたクルマ見かけるほど各地は泥濘地だらけ。

1か月を過ぎて今日も大水害の復旧は続いています。

 

 
 
 
 
 
 
 

こうした何気ない町中の側溝から間欠泉の様に噴出する泥流に人々も動きを封じられ飲み込まれていった。

仮設住宅群の脇にある用水の側溝が、水圧で重い蓋ごと押し上げて口をあけています。

 

 
 
 
 
 
 
 
 
まだ記憶に新しい輪島市の久手川地区。
あの日も…生命を奪う泥水で描いた地獄絵は絶望を塗り重ねていました。
 
 

救助隊が駆けつけた時には、少女や老人が行方不明になった地点が無残な変貌を遂げていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

今回も迅速に出動し急行した各県の救難隊員。

 

あの大地震の酷さを認識しながらも、阿鼻叫喚に暗転する被災地の住宅を桁違いに破壊した水害にの痕に驚きを隠せない。

 

 

 
 
 

 

 

 

 

 

あらゆる河川が濁流という荒ぶる龍となり逃れる人命を奪っていった。

 

各地の主要道も寸断され土砂の海は…生きる全てを犠牲に奪い尽くしても許してくれはしない。

 

気象予報も知りながら激変し、ほんの数時間で

経験値から誰も予想し得ない豪雨災害が勃発した。

あまりに局地的なので、加賀方面でも信じ難い災難が

報じられてから救助支援スタンバイに戸惑う大異変。

 

 

 

 

 

 

 

震災でダメージを受けていた家屋が浸水し脆くも泥に侵食され破壊されていく。

 

当時は濁流により周囲が河になり水没していたが、

翌日になり地形が崩壊して土砂に田畑も家も消え…

誰ひとり生きる気配すら残されていなかった。

 

 
 
 
 
 
 
 
自衛隊も部隊や重機を現地に送り捜索と復旧に全力。
 
 
 
 
 
 
 
 

戦後に拡大した国の政策で植林の進められた杉を中心にアスナロなど針葉樹の山林が広がる能登地方。

近年は、健康面で杉花粉の害など問題視されていたが、

需要が減ろうと、奥能登の農家にとっては代々の財産としたい宝の山林でした。

 

そうした時代を経た能登の杉は成長もピーク、昨年度あたり伐採が盛んに行われておりましたが。

 

自然界の広葉樹に比べると斜面で人工的に密集させた杉など、地面に張り巡らす根の組織が弱いようだ。

当然ながら植樹されてから成長した杉など根元に日照も減り、計画栽培なので下草や雑木も殖えませんね。

広葉樹と違い落葉や生物分解などのサイクルが緩慢になり土壌が自然な山林の様に強い地層を形成しない。

極めて稀な観測史上最大級の集中豪雨に排水機能も果たせず脆弱さから崩壊速度が速まったのでしょう。

(今後は、ごく自然な広葉樹で原生林の如き山間部に戻すことも必要に思えます。)

 

 

元旦の地震災害で振動により脆くなった地盤が、短時間に集中した異常な規模の豪雨には耐えられず急な山肌ごと数時間で崩壊し、上流から途方もない質量の土砂とともに濁流で押し流され市街地を襲う現象に。

 

震災後に残された復興しつつあった普段の穏やかな暮らしが、鉄砲水と震災瓦礫により埋め尽くされ、家族への想いも気力も引き裂かれた住民達に逃げる場所すら残されていない。

 

 

 

 

かつて平安時代の前に、政敵に陥れられ憤死したという早良親王の怨念と祟りで、栄えた都だった長岡京も豪雨水害で泥の海に没したとの言い伝えがあります。

そして遷都して平安京に移動したことは歴史に有名。

水害の恐怖は度々襲来するのです。

 

 

また、中国地方など時として山々の谷から豪雨で濁流が村々で水田と農民の生命を呑んだ恐怖体験の逸話あり。

幾重にも山から流れ出る溢れ出した河川の濁流は大蛇、

神話の中に登場するヤマタノオロチ伝説に思えます。

 

古代から幾度も気象異変で大打撃を受けた大和の国。

現在にも至る治水工事の歴史も物語られますね。

 

大自然の恩恵と破壊神のような激動が背中合わせ、

その事実こそ日本列島に生きるというリアルでした。

 

 
 
 
 
 
 
 
 

再び…被災地に冷たく暗い夜の闇が広がっていく。

 

厳寒の中での震災に生き残り決意して立ち向かった僅かな積み重ねも大切な家族の命までも無残に完膚なきままに潰されてしまった故郷。

 

穏やかな秋の季節と豊穣を望む農家も頑張っていた

能登に生まれた住人たちの無念も渦巻いていました。

 

自然災害の恐ろしさに身を凍らせ天を呪う間もなく…

知人や身内の訃報が伝えられていく。

 

 

 

 

 

 

ここには安全な場所などない。
能登を愛す人々の一縷の望みすら奪われた痕跡に、
再び援助に訪れた者も声を失うしかない。
 
 
豪雨の翌朝、塚田と久手川地区の河川。
この上にある場所までが濁流で見えなくなりました。
ほんの数時間で起きた豪雨により桁違いの被害状況。
 
住宅地の一帯が水没し泥の激流でした。
その水位が下がり、ようやく翌朝は近づける程に。
 
 
 
 

 

 

 

あの異常な豪雨も嘘でも幻でもない…

 

ひと月の時が経過しても落胆した街の人々が現実に目を背けることも無理からぬことでした。

 

いまはもう励ます言葉すら見つけられない。

こうした写真集が出版され惨たらしい様子を掲載。

 

 

 

 

 
 
 
 
 

発生のメカニズムを解明すべく巨大なアースクエイクを研究していく中で、幾度も精査し備えていた。

そんな国と民間組織の盲点のように集中豪雨。

 

あらゆる可能性を元に対応も怠らなかった。

しかし、そこを襲う予想外に降り注ぐ豪雨は…

国と自治体が数十年の河川に於ける治水工事の成果を完膚なきままに機能不全に追い込み無に帰したのです。

 

 

 
 
 

 

 

 

 

 

 

まるで空と海が入れ替わってしまったと思えるほどの

経験のない雨を降らせる現象だった。

 

 
 
 

 

 

 

 

現地の住民も援助に駆けつけた人も例外なく地震と洪水に被災した能登を再建し暮らしに息吹を取り戻すためだけに汗してきた。

 

 

 
 

 

 

 

 

 

 

 

我々は、決して諦めるわけにはいかない。

それは国内に於ける次の災害も同じことであります。

 

能登半島に起きたカタストロフィか…

明日の貴女の街で起きないという保証などありません。

 

私達は、誰しも地球という閉ざされた楽園を信じて生き抜くのです。

 

 

 
 
 
 
 
 

 

 

 

 

たとえ裏切られ幾度も地獄の底に叩き落されても…

 

寡黙に信じて、しながら挫けない生き方を模索していくしかありません。

 

 
 

 

 

 

 

 

我が国が危急存亡の時ですら、汚濁した権威と私利私欲で卑劣行為に酔い痴れ暴力で奪い合う外道に堕ちた組織勢力が暗躍している政界や社会を鑑みること。

 

 

能登半島という地形のみに注目し過ぎていますが、

泰平の世に甘んじて備えと教育も軽んじた結果です。

 

いまや列島全体、むしろ地球規模の危機感を抱くべき。

だからといって座したまま絶望に屈服する訳にも…

状況から逃げ敗北を喫する暇もないのです。

 

 

 

試練の形をした警句を思い知らされるのでした。

 

 

能登で有名な伝統工芸の輪島塗りがありますね。

手工芸で、漆による人の繊細な作業と時間を経た

貴重で美しい漆器に心を奪われるほど魅力的。

 

 

被災後に活動した大勢のボランティア人員も

まさしく人間の手作業によるところの良さなのです。

 

今回も泥土に流され浸水した地元の人々の生活を

細やかな心遣いで援助し作業してくださった。

まさに人の手の温もりが救い… そのものですね。

 

被災者の生活の場や家具など、深い思い遣りと

真摯な献身がなければ短期間に再現は出来ません。

 

能登の各地で、挫けないで誰もが寡黙に支えあう心。

 

相互に感謝しながら学びと働きが救済の中心です。

 

ありがとうございました能登と国内の絆に感謝。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

彗星画廊☆写真集  HP

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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