時に不思議な出会い?



 

米沢の地といえば

烏帽子石とか鬼面岩などの巨石が有名なんですが。



これは?南米とかの超古代文明に?






あったような像ですけど不明。

長閑な田園風景に突如の出現?。

米沢への道中で遭遇した謎の像。

どなたかの趣味かな…ラテン的。


私も好きですけど(笑)。

 







喜多方線の県道333
3の三つ並びも愉しげに視える旅は発見。
長閑な田舎道をゆるゆると走る愛車。










上杉の城下町米沢

遂に米沢の圏内に届いた嬉しさ。








なごみの郷

東北の道の駅・田沢に寄り道。







全国各所の道の駅。
旅をしてるという実感の湧く演出が嬉しい。




 


 

 前田慶次を訪ねる上杉領の旅とくると、世間は新潟エリアを思い浮かべそうですが。


天正六年に上杉謙信が春日山城で倒れ、後継に景勝が継いでから。

秀吉の世では会津を居城とする短い時代も。

栄枯盛衰の象徴とも言えるものでした。



実は関ヶ原以降に米沢(山形県)に転封された上杉家


家臣団共々に荒涼とし痩せた土地を豊かに開墾する苦難の始まり。


そんな苦楽を共にした悠々自適な慶次の人生もまた風雅を知る者。



豊かさとは縁遠い暮らしに窮する中、家臣の庭にも青麻(あおそ)という植物を植えさせたのは直江兼続

苧麻(カラムシ)とも呼びますが、貧しくても僅かでも益とすべく独特な麻糸の原料となる植物栽培を奨励しています。

現代でも地元家臣達の末裔は、直江公と…尊敬を込めています。



越後や米沢の麻布が後にも流行る功績は、兼続の才腕のひとつ。


刀を振るえず、鍬を握り灌漑や田畑を広げる事業に半生を捧げた戦国の雄たちを偲ぶ。


江戸時代には、上杉鷹山の様に優れた君主を輩出しています。

知略に富む彼は、下級藩士の創意工夫で生み出した繊維製品、現代に言うと?シースルーのように透けるほど薄く夏に涼し気な着物の透綾(すきや)を大流行させ米沢藩を有名にした才腕プロデュースの立役者だった。



敗戦し徳川の世となりても、後の世までも智慧と努力で名家上杉の誇りを世に示した名君を想うのでした。



ほんとにね、産業も苦しい奥能登の被災地。

そうした栽培の智慧を授けられたら良いのですけど。


米沢でも色々と学んできました。




 








 

 

 

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