災害ボランティアなど己の幻想

もう暦では、実りの秋になった。
瑞穂の国らしく各地の稲穂は頭を下げ重く揺れている風景。
こんな迷子にも出会った。

新年早々から災害が石川県であり
救援の名の元に戦ってきた。
ただ…ボランティアという言葉も役目も好めない。
基本的に、常日頃から国籍や肌の色、年齢が違おうが反射的に助ける生き方をしているから。
特別にボランティアという役割を望まなくても踏み込んでいきたい。
だが、各自治体にも規則や仕組みもあり勝手は慎まないといけない。
助力は惜しまないし、己の健康面や生命の危険は後回しでいいから働きたかった。
もう…能登の人というくらい奥能登被災地に暮らす。

そうした意味では震災当初の悲劇的な状況ほど働き甲斐があった。
いまは帰還兵の如く、己の実力も熱意も不用品。
豊富な人材が適応し精力的に励んでおられる。
正直なところ、邪魔な自分は引き際とも言うべきタイミングを逸しないで消えたい。
この国の何処でも困窮する声に向かい出来る限り共に戦う日まで、傷が癒えるまで消えるべきだ。
半年を越えて被災地に灯る文明の火も潤う水も戻ったが、人心の荒廃が完治する訳でもないのです。


閉創してオペが終わるだけではないから、でも患部の癌細胞は転移を繰り返し寛解には程遠いのですね。
特別?だらけで挑まないと治癒しない被災地の実情。
人々は疲労感と目的意識の混迷に揺れたまま。
そこへ?政治も含めイニシアチブを強行したい団体の目論見が入り込み、近づく選挙の道具にされる被災状況を元に錯綜する現実の復興シナリオの遅延は取り戻せなくなったと考えています。
復興は必然の一部であり、美談でも報道の利益同調とも違う次元だ。
未曾有の災害による不利益と失望など経験のない土地柄の人間が、復興など現実味を抱けない道理。
長期的な予測と観測を精緻に行いながら、演算された結果には?不安な近未来を避けられないことも。
それを踏まえて前進するのは高度な見解とリスキリングの毎日を覚悟しなければ達成も不能で、自分から温もりある暮らしを取り戻すことが叶う時間を失い続けるダウンサイクルを継続してしまう原因を含む。
誰しも自らが災害で日常を失い途方に暮れるなど考えも準備もしていないだろう。
しかし、それは理由にならず…大事なポイントが現実の対処法に集中しなければ、子供も老いた親も?ましてや自分を救えない。
所詮、私も他人の意見だから
土地を守ろうと呟くが、逃げ出さなくては生き残れない事情も沢山あるのですから。
詩を書くように詠むように自然は優しくない。
むしろ残酷な裁定を降す審判の日。

次第に弱い心はネガティブに浸り、楽な逃げ道として誰かのせいにしたくなるのかもしれない。
ボランティアを希望して訪れる人々も大切な自分の人生から時間と未来を分け与え捻出してくれる人々だ。
つい我儘が先立ち身勝手や憤懣の矛先を間違える人が出始めるのも分析すれば、今後がピークを迎える。
台風災害を予期し危険を示唆した報道や情報提供も流れる今。
既に破壊されてからの被災地に少数でも水道など復旧しない世帯が存在している。


誰もが援助を出来なくなったら、被災者同士が犠牲を支払っても助け合う時期が迫ってきている。
救いを与える誰かが?運良く手を差し伸べてくれたことを感謝したい。
自分もボランティア経験に詳しい人からのスキルを実地で学べて助かった。
自己満足など屁の足しにもならぬ。
受け身からアクティブな行動基準に移行する秋。
見習った技術や必須項目を活かした隣人への救済も自分たちの役割に代わったという自負が中心だと思う。
いま超える大災害が発生したら、数か所の国内が陥ったら?どうやって救うのか、自分たちで役立てることはないか、課題は増えてばかり。
台風シーズン到来で早速の大型台風が接近し影響圏に入る日本列島。
残念ながら、今後に経済も災害も劇的に回復するという希望を抱くには早計である。
まずは日々の確認とスキルアップを前提に不慣れな自分も含め戦い続けたい。
災害のために産まれた訳じゃない。
これも天運だと諦めず挑む心。
そこは自分らしさの基軸として無力ながら好きになれるところ。
子供じゃない自分のスタンダード。
弱くても訪れたリアリィーに立ち向かわないとならない。
尽くそうとする程に、自分という存在感は曖昧模糊になるものです。
悲劇は、世界中にあり戦禍の国だけでもなく、我が身が憐れまれる必要もない。
いまや己の手足が潰されても動ける可能性がある限り…やれそうだ。
汚れて無様でも自分は誰かを救いたいと無駄に藻掻くだろうから。
まったく齢を経て己が名も無い路端の髑髏になるまで戦うことになる。
何処か虚しく、そして愚かさに嘲られても…誇らしくもある。
これを迂闊に読んでしまった見知らぬ貴女?。
馬鹿らしい奴の意見と嗤い現実を吐き捨てず…
果てない徒労と失望を背中合わせにするのが大義による復興という正体だと知ってほしいから。
いまも誰かは血を流して視えない努力をしている。
僅かでも出来る限りのことを実行する刹那。
だからこそ、ボランティアも被災者より先に倒れる可能性が高い。
災害だろうとなかろうとだれかが泣いているから。
足元の蟻が運ぶが如く…小さくて虚しいなりに、そんな見知らぬ人を守れる自分自身でありたい。
いつの間にか?家族付き合いに近い能登の住民と記念撮影したり…。
なにかと思い切り大声で呼んでくださいと約束。
そういえば、能登半島へ派遣の陸自部隊も8月末で撤退。
長期の任務お疲れ様でした。


そして、現在も救いを求める声は無数にあるということをお伝えしたい。

彗星画廊☆写真集 HP
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