のと里山海道が対面通行復活
半年前の大震災で崩落するなど破壊された
能登半島への大動脈である里山海道、その奥能登にある下り線で難所の一部区間が、復旧工事により今月の17日から対面通行も可能になりました。

加賀方面から北上すると特に重大な破壊を免れ被害箇所を感じないのですが、奥能登エリアに入ると斜面の崩落など途端に地震後から激変した異常な被災風景。
とにかく県側が復旧向けの輸送を優先させるべく設けた終点(輪島)までの応急対策で持ち堪えた下り線のみ変則的な通過の仕組み。
震度7クラスの大規模な破壊による崩落で未だに復旧工事も至難の路線になります。
長く金沢から輪島方面行きは早くから通過させる工事により臨時の復旧、逆に金沢に戻る区間の損傷の酷さから片側の通行を断念し途中から降りるしかない状態が続くため蔓延する一般道の渋滞。
どこも崩れ落ち見知らぬ戦場に来たような緊張感。羽咋市の付近までは四車線なのに奥能登は殆ど二車線区間の
石川県内、里山海道は自動車専用道路。
いまだに破損した道路のため気象が荒れた天候で雨などになると危険度も深刻、誰もが走行の負担が倍増する苦しさを強いられます。
以前、1時間少々で移動できた能登への道。
被災後は、3〜4時間も費やすほど交通が麻痺する一般道への渋滞ばかりに支援も被災者も悩まされました。
次第に復旧も進んでいましたが、道路を最初から造るよりも難しいのが実情。
直線部分は?未だに蛇行して通過させるしかありませんが、残る区間の開通で支援物資の車輌が移動する時間が短縮できます。
支援物資もボランティアも安全にスムーズな移動が叶うことに感動しています。
この道路が果たす意味が救済を爆発的に早められたら良いですが。
そればかりは無理な相談。

震災前は、なだらかに快適な道路でしたが?
能登半島の北部が地割れや決壊で崩落している部分を避けるコースを懸命に再構築しました。
現状で応急の工事しか行えず急激なカーブや極度のアップダウンの高低差が厳しいため40㎞/h規制されています。
(実際に走行すると規制値を超える速度は無理な範疇)

真冬から途方もない迂回を重ねて運搬されていた能登への緊急物資や再建の復興に必要な物資を迅速に運べる。
まさに血路を開いた感じですね。

片側の二車線ごと谷底に崩れ落ちた場所を反対車線側に合流させ車線を復旧。
いまも信じられない光景が無数に視野へと飛び込んできます。
能登の北部は、往復の路線が通行可能になっても状態に著しい回復は無理があります。
それでも不便を強いられても移動の自由度を取り戻したい。
以前のコースを知る人々には、あらためて地殻変動の残した傷跡を知るのです。

ここは両車線が崩壊したので、鉄骨の橋梁を造りあげ道路を復活しています。
残された以前の部分も幅員を拡張しながら通過させて来ました。
元来が山間部を貫く能登半島の道路区間。
あらゆる範囲で破壊された痕跡を観ます。

一般道からの合流区間も閉鎖された場所が多数あります。


既に深い緑に覆われていますが、破壊された側道の残骸なのです。
放棄されてるようですね。

道路区間が渚ドライブウェイで知られる羽咋市付近までは、道路自体に極度の損害も見られません。
その先、奥能登へと向かう区間に震源地へ北上するほど破壊の痕跡が劇的に広がります。
以前は直線でしたが、迂回を繰り返さないと進めません。
それでも震災直後の風景に比べたら、素晴らしい復興を遂げたと思える私達県民。
凍える冬に説明しがたい破壊で身動きを奪われた震撼の記憶だけが横たわるのです。

能登空港に接近すると手前の穴水に降りるトンネル被災で長く封鎖されていました。
ようやく以前のように降りられます。
昼夜を徹して行われた復旧工事と携わった内外の皆さんの努力で通過させてもらえます。

いま開通した区間の対面通行を知らせる掲示板の表示。
待望の交通路線の復活は、地元に明るいニュースでした。
とはいえ?、昭和の時代に主要道路も乏しい環境で陸路が厳しかった…かつての能登半島よりも辛く過酷な状況に変わりありません。

これから復興に拍車がかかり、県民とともに進捗率の加速度も上がってほしい。
しかし、大自然の牙も人間社会の停滞も如何に希望的な観測を遮るばかりか… 。
奇蹟も含めた尽力に委ねるしかない能登。
どうか全国の皆さんも支援の声を
さらなる援助の手をお貸しください。
よろしくお願いします。
がんばろう能登半島
彗星画廊☆写真集 HP
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