リアルさが感動的なガンダム
その現実感を超越しそうな立像
逆に被災地にも、こうした目を疑う景観がありました。

震災の破壊エネルギー
よく皆さんも報道で御覧になりましたでしょうか
奥能登にある輪島市内で倒壊したビルディング。


奥能登なりに、戦後は観光ブームであるとかバブル景気を経験した時代の変遷を生きた人々の町。
これから日本の景気も底に落ちた社会から復興し市民の糧や伝統を守り生き抜く苦労を考えると多難を想定することになります。
以前は、観光収入に甘言で寄り添った企業や外資も以後の望みを継続してくださるかどうか?。
地方自治体も未曾有のダメージに困窮するであろう市民生活を再建すべく立ち向かいながら、いまも光明を失ったままのようです。
戦争の如く破壊された市街地。
大災害よりも前に整えたインフラも失われた。
一年の始まり、休養に帰省した家族すら奪い取った激震。
穏やかな地方に暮らす人間にとって絶望感しか残らない僻地の実像。
悲壮感と迷い苦しみの連鎖を断ち切るには、程遠い時系列が待つ。
もちろん、これが地震活動に定義となる終息の保証も不明な土地。
それでも微かな希望であろうと、老いた手指を傷ついた心で生きる。
間近で能登の人々の窮地を追体験し、お手伝いしながら言葉にも変換(かえ)られない血の痛み。
私の陳腐な言葉など、なんの助けにもならないと解っているのに。
気が付くと夢中で動いていた私自身も手足はボロボロ、つまらん怪我で傷付いて立ち上がれない。
いまや少しだけリタイアして逃げ帰っている卑怯者に成り下がりました。
もちろん自分自身には、伝えられることも無為。
それでも帰還すれば、快適な居場所ある金沢生活者。
医療機関も水の自由な処置を受けられる私は、所詮は傍観者のひとりとして奥能登の人達に何も尽くせなかったと失望しています。
奥能登の患者さん達は、いまも他院に搬送されて僅かに残され不自由の中で懸命に処置されていました。
ほんとうに私が現地で身代わりに死んであげられていたら…
この頃、夕暮れになると胸に去来する想いも偽善なのか。
どうしても気持ちも心も切り替えられぬ自分。
断ち切られた歳月を繋ぎ直すことって無情に叶えられないから。
あの子も春は学校に戻れ、お年寄りも孫達に会えたかもしれない。それほど沢山の人が亡くなりました。
捜索に専念する救助スタッフに休養の時間もありません。
永遠に失われた歳月を丁寧に掘りながら弔いながら一日が過ぎる。
被災地に平穏も癒しも訪れなかろうと戦う人達がいます。
余震でも無いのに、何か心奥から震える既疑震感?を脳が応える。
気付くと、列島の各地に大小の震源が転移にも等しい揺れ。
皆さんもお気を付けて生活してください。
どうかご無事でありますように。

彗星画廊☆写真集 HP
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