背に負う 目立った母衣(ほろ)は、勇猛な織田の旗下で 赤母衣衆。
初陣では、数え年 14歳にして 敵の首級をあげたという。
天下無双の朱槍、その長さが三間半 (6m 30cm) はあったと伝えられています。
槍の又左 ここにあり!!
元服した後の異名は、前田又左衛門利家 から、又左 ” と雷名が轟いた。
前田利家公 を主君とする加賀の武将は猛者ぞろいであった。
群雄割拠の戦国時代を生き抜いた侍の伝承は、フィクションにも登場する証。
若き日の・・ 利家公の勇壮な騎馬像があるのも 尾山神社の境内ならばこそ。
攻防一体の荒武者が参る!!
母衣” とは戦闘装備で、流れ矢から背後を守る防護の仕組みでした。
また母衣や、朱槍といえば 敵軍から最強の武者であると狙われる存在感です。
偉大な人生の覇者である 前田利家公。
苛烈な時代に 真っ向から生きた人間の在り方が、現在の金沢にも尊ばれる。
今世紀、与えられた平等や権利と浮足立ち、身勝手な言動で社会は乱れている。
それは誰にでも発言が許される愚行の果て。 決死で同胞を守り戦って勝ち残り
真偽を言える立場を得た人物の時代とは違い過ぎるからでしょう。
今一度 問う、その申されようは命を賭して 正しいと誓えるか!。
時代背景はどうであろうと、野卑に言葉を並べる無責任さが世を終わらせる。
現代人が、侍の時代を・・ 否定するのは学びが足りないからかもしれません。
血気盛んなゆえに 幾多の失態もあれど 揺るがぬ武将として国を得る。
利家公の兜も黄金に輝き。
夫婦の絆も深く 見守られる お松の方も・・ そばにおられました。
関ケ原以降の世で、江戸に人質として参られたのも お松の方による英断。
加賀 百万石の礎を築き上げた・・ そんな二人に恥じないように生きたい。
前田利家と 九人の赤母衣衆が戦場を疾駆した。
コロナ禍での変化といえば、お札所がキヤマン(ガラス)張りになりました。
感染禍だろうが、殿(しんがり)は任されませい。 負けはせぬ!!
写真集 HP
お願い☆著作権ある 記事の無断複製・転載はご遠慮ください。
背中の母衣?が、 大きな野菜に見えちゃいました。
ごめん野菜~(笑)。
▼本日限定!ブログスタンプ