石川県 七尾市のフィッシャーマンズ・ワーフ 食祭市場 に行きました。
日本海で獲れたての新鮮な魚介類を購入できます。
ズワイガニ の動くところが
鮮度を感じます。



市場を買い物していると、能登らしく七尾城 畠山氏の人形飾りが。
畠山氏 ” といえば、室町幕府での管領の役職まで就ける名のある家柄でした。
現在なら 大阪府東部の河内・・、和歌山県の紀伊・・ 北陸は富山県となる越中・・
そして 石川県北部にある能登・・ など四つの国を治めた大守護大名なのでした。
能登の国を治めた 吉見 氏や本庄 氏といった地元武士の守護大名が相次いで失脚
明徳三年(1392年)頃、室町時代のはじめ、管領の畠山 基国(もとくに)が守護大名に。
当時の将軍の足利義満が嫌う実の兄 足利満家(みついえ)に代わるリリーフ。
畠山 基国の子であった 畠山 満則(みつのり)が当主になりました。
その後 応永15年(1408年)に将軍の足利 義満が亡くなりました。
兄に当主の座を譲った 畠山 満則、己は領国のひとつ・・ 能登の守護大名に。
能登 畠山氏 の統治する歴史が始まりました。
京の都に住み 将軍家に近くで仕えた 二代目となる 畠山 義忠(よしただ)です。
またしても波乱の時代、応仁の乱” (1467~1477年)が勃発。
焦土と化した京の都を去り・・ 三代目を継承する義統(よしむね)は能登に帰り
文明10年(1478年)畠山 義統が能登の直接統治を行ないました。
こうした能登 七尾の守護として栄え 堅牢な七尾城を本拠に代を重ねた畠山氏。
家臣の裏切りと下克上 の嵐、越後から上杉謙信の侵攻で衰亡の歴史。