東海館 を愛した人々の物語り click
昭和の三年に開業、創業者であった 稲葉 安太郎氏は、材木店をも営む実業家。
故に国内外の高級木材が収集されていたそうです。
この伊東に夢のような旅館を建築したい。 伐採された檜や杉の木目など良質の木材ばかり。
東海館の随所に見られる匠の技こそ 当時の職人たちの棟梁に競作までさせた建築美の賜物。
現代の水準を超える技の残された東海館の自由な建築の美は、多くの心を惹き付けます。
玄関を見上げた視線の先にある旭日と鶴・・ 波間の飛沫まで感じさせる見事な彫塑。
そして館内を飾るのは、地元でも腕利きの彫師だった森田東光の作品です。
伊東市が、観光用に改修して 内部の見学も出来ます。
(料金は 大人200円、子供100円)
旅館の温泉に ご入浴の可能な日は、毎週の土日と祝日のみです。
(入浴料金は 大人500円、子供300円)
かつての旅館全盛時代の衣装など、展示の品々を拝見できます。
いまは、館内見学の受付となり、館内では茶房や軽食も楽しめるのですね。
ほう・・ 手摺りや柱の造りに丹念な作業の痕が滑らか。
ゆるりと階段を登っていくだけで、時間を超えていくような感慨があります。
歴史ある旅館の佇まいというか明暗のコントラスト。
自然な採光の巧妙さ、飾り窓や照明ひとつにまで凝らした意匠。
風合いも天然の木材の味わいを生かし 遊び心も 和んだふる。
さらなる昭和十三年頃、3人の棟梁が招かれ各階を競作させたのだそうです。
廊下を進めば、こうして次々と趣を変えながら迎えてくれるのです。
今は、こうしたテーマで 客室の展示もしていました。
そして湯は心の浄め、老舗旅館に 名のある旅人も紹介しています。
ここで寛がれた・・ あの軍人さんは、舞鶴依頼の出会いでした。
この情緒ある風情が素晴らしい。 さて、廊下を進み 橘の間は・・
英国人 ウイリアム・アダムス氏 三浦 按針(みうら あんじん)をご存知ですか。
群雄割拠の戦国時代を経て、関が原の合戦が近付く慶長5年
苛烈な極東への航海の果てに 豊後の国、臼杵の黒島に リーフデ号にて漂着。
ウイリアム・アダムス達は、当時拘束され武器や船も没収されてしまいます。
遂に帰国は叶わず、江戸時代の初期、徳川家康に庇護されることに。
帰化させられ、名も 三浦 按針 と改め・・ 自らの知識や経験で幕府に貢献しています。
(その人間性は、天下人の家康に認められ、造船や航海術で秀でた能力を発揮)
武士となり アドバイザーとして、当時の外国使節団との通訳などに奔走。
伊東には、日本発の本格的な造船ドックを設け、慶長9年(1604年)に帆船を完成。
さらに慶長12年(1607年)に大型帆船を建造する実績を残します。
家康の死後、徳川秀忠が世に言う鎖国へと舵取りしたため長崎の平戸で
不遇の人生を強いられたまま・・ 55歳で御逝去されたそうです。
彼の人生を知る資料が展示されていました。
なるほど 伊東の地に纏わる歴史背景が見えてきました。
つづく・・