春の風も吹いて・・ 金沢城の雪も消えていきます。
元禄年間(1688~1703)には『千畳敷の御殿』と讃えられるようになった金沢城。
尾山という丘陵地に本丸を置く城郭の形式は、平山城の階郭式縄張り。
石川門 です。 城の背後を守る 搦め手口の防備を司りました。
(石垣には多聞を配して、高麗門から土橋周辺を二重櫓で見張る仕組み。)
でも 観光客の足元への気遣いとして雪かきしてくださる人々も。 感謝
虎口にある 堅牢強固な門扉は防御の要で 鉄(くろがね)造り。
火炎や風雪にも強い外装の補強として、銅板、鉄、鉛などを施した設えです。
三の丸広場、城内の積雪は、すっかり減りました。
矢の倉(武器庫)であり監視塔となる 菱 櫓 も美しい構築物ですね。
天守閣を再建していなくとも威風堂々とした 金沢城址の威容も魅力。
優雅にも思える城址も 戦国時代の攻防から得た技術の集積でした。
濠が真っ白に凍っていました。
加賀藩士(石川県民)の写真好きは、ここからレンズで狙っています。
(もちろん鉄砲狭間と呼ぶ木枠は銃眼ですね。)
とても特徴ある横長に配された 五十間多聞長屋 です。
(高さ11,7mある石垣の上に建築された3階建の全高17m。)
金沢城の 三御門のひとつ 河北門。 大火で消失してから130年ぶりに復元。
(能登ヒバ という檜材を中心に巨木の梁など、あくまでも伝統の工法で再現され)
高麗門としての河北門は、一の門から櫓門である二の門、枡形土塀睨み櫓台で形成。
人間が学問(真理)を修めていくことには、一生をかけた研鑚となるでしょう。