御経塚遺跡
ここは、縄文時代でいえば後期~晩期(3500~2300年前)にかけての集落遺跡です。
場所的に説明すると、金沢市から近郊にある 野々市市の北西部で国道8号線沿い右折。
ショッピングセンター・サティさん や ニトリ さんとは道路を挟んで向かい合う林の中(写真)。
昭和 29年(1954年)のこと、偶然に地元の押野中学の子供達により発見されました。
翌年からの調査と発掘で実態が明らかになった竪穴式住居と村落の跡。
昭和52年(1977年)になると国から史跡指定されて 周辺部は史跡公園として守られています。
復元された 縄文時代特有の竪穴式住居”
雑木林を隔てて 閑静な住宅街に 忽然と出現する縄文のムラ?。
交通の大動脈となる 国道の傍とは思えない静けさが保たれていますね。
暮らしてみたくなる
最近では、2012年の5月頃に 屋根を構成するカヤの葺き替えがありました。
(23年ぶりだったそうです。)
豊かな恵み 縄文の森
発掘調査の頃から鑑みて、平均気温は2℃ くらい低い冷涼な時期と想定されました。
しかし最近の日本列島は、高温傾向なので、縄文海進期の亜熱帯気候になりそうです。
縄文の 陽だまり
遺跡の一帯は、面積が15,000㎡ の整備された落ち着いた史跡公園にされています。
発掘された遺構も保存されて 縄文人の古代の暮らしを知る勉強には最良。
金沢の チカモリ遺跡などでも出土した 大きな木柱列(もくちゅうれつ)の痕跡かも?
当初の調査では、土器や打製石器が大半で、特に埋められた呪具(御物石器)が注目され。
研究者により北陸の縄文晩期の遺構で出土する指標となる『御経塚式土器』に定められました。
どこか懐かしい…見知らぬ コトバ
狩猟や採集で暮らす縄文人の生活のほうが豊かに思えるのは何故でしょう…夜空も美しい。
大陸の人種よりも糧を得る狩り環境のために身体能力や五感が優れていたのが縄文人。