好天で暖かく、港から時計回りに島の外周を歩いて行くことにしました。
舳倉島(へぐらじま)南西端の近くに祀られている 奥津姫神社(おきつひめじんじゃ)”。
能登半島から肉眼で観測できるのは、岩礁の集まる七つ島と呼ぶ大小 7島が水平線に並びます。
まず 七つ島は中間地点、 舳倉島は…さらに沖を目指した地点の絶海の孤島でした。
海抜は僅か12~13メートルという地形で航海術がなければ長く知られずにいたことでしょう。
万葉集で、大伴家持が詠んだ 『沖つ島 いゆき渡りて 潜くちふ 鰒珠もが 包みてやらむ』
強い季節風から守るように海石を積み上げられた塀垣の向こうに社殿があります。
離島まで材料となる物質を運ぶのは昔から至難の業。 参道も多くが海岸の天然石を利用。
島には幾つもの神社が祀られて、ここを含め7ヶ所は北側に面した海岸線にあります。
日本の歴史よりも古代の大陸からの漂流者や朝鮮半島に対する鎮護や畏怖の意識のためか。
九州以南~沖縄のような珊瑚石積みの感じに似ていますね。
輪島市の海士(あま)町の漁師さんたちが漁業権を持つ舳倉島周辺。
古来、遥か西方から季節ごとに漁業を生業とする海人族が東方へと移動してきた説もあります。
海士の人々は、生粋の誇り高い海の民なのでしょう。
さて、奥津姫神社 の狛犬さんは強い海からの風雨に耐えながら全身で神社を守っています。
樹木は貴重で島の植物相も本土から次第に持ち込まれて変化したはずです。
いつも信仰は心の拠りどころ。 でも私は彼ら特有の文化にこそ高い価値を見出します。
孤島の厳しい環境で生きるための糧を求め漁をすることの苦労を肌で感じるのでした。
こちらは、すぐ横に位置した大和田神社。 (神明鳥居ですね)
奥津姫神社の大きな鳥居(明神鳥居)は沖の日本海に面した方角に…彼方には大陸が。
南西の位置にある神社付近から振り返ると遠くに港や民家が集中する南の海岸地域。
島の随所で見られるケルン(築山)は、一説には竜神供養のためだと言われています。
謎…朝廷の支配を感じる神社よりも?こうした跡に彼ら特有の精神文化が残ると思います。
たくさんの群れで海岸を遊ぶように飛び回る鳥たちの群れに遭遇。
いま島の野鳥分布がどうなのか、あまり知らずに体験すべく訪れましたので全てが楽しくて。
光いっぱいの道路沿いに広がる海岸の美しさ。 次々と種類の異なる野鳥が現れました。
とにかく写真に撮れた種類より眺めているだけで嬉しい鳥の数がいっぱい。
この子たちは アトリ です。 その後を追いながら細い海辺の道路を歩いて行きます。
雑草と思えても島の生態系では飲料水や植物がとても貴重なのですね。
舳倉島は沖ノ島や宗像のような正真正銘の聖域なのです。
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天然石の生み出す不思議さ?
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