…は、名古屋城 の 

     徳川家康が我が子である義直のため天下普請として築城したといわれます。

      (初代の尾張藩主となった徳川義直は家康の九男として誕生しました。)

      慶長14年(1609年)に築城された五層五階の梯郭式平城となる城郭。

 

      先日、被災した熊本城や大阪城に比肩する日本の三名城と数えられるところが見事。

 

   尾張の国にある立派な名古屋城なんですが、天守閣など再建にあたり鉄筋コンクリートを採用。

    (浜松城など、近代の再建時にその工法を採用した例は多いですね。)

   本来の木造建築を復活させるには巨額の資金が必要にになるのでしょう。

 

    ですから、一部は礎石も組み込まれずに…こうして平地に並べてあるんです。

     なんにしても築城とは、たいへんな労力と資材が必要。

     運搬や動員数はビル工事どころではありません。 

     しかし、その構造ゆえに堅牢で、熊本城が地震で崩壊し痛手を負う姿とは対照的かも。

 

 

    さて、天守閣を目指して 不明門 から入りましょう。

    門の内側は、こうした構造をしています。

 

    昭和20年に焼失しているのですが、53年に復元されています。

 

 

    この御殿椿 も焼け跡から芽が出て再生してくれたそうです。 強い生命力ですね。

 

 

 

 

   城の石垣には、こうした記号などが刻まれているものが発見できます。

   これらは刻紋(こくもん)と呼ばれ、築城に参じた大名や家臣の印でした。

 

   世は次々と日本中にビル建築が増進された時代背景、城も選んだ鉄筋コンクリート。

    内部は観光用の資料館として企画化されています。

 

    ここにも金のがありました。  まさしく城のシンボルですね。

    この日は外国人の観光客が多くて、大半がアジアからの人々でした。

 

    現代の名古屋市は風景も様変わりしていますが、尾張の国は今も繁栄しています。

    尾張徳川家は御三家の名門として17代に渡り明治時代まで治めていました。

    清須城から 名古屋城 へと尾張を治める拠点も変わります。

 

 

 

    戦国の覇者であり天下人として号令を出した人物の肖像。

 

   織田信長”  初の情報戦で今川義元を桶狭間で討ち取り、自ら天下布武に動き出す。

 

   豊臣秀吉”  本能寺で信長亡き後に、明智光秀を討伐し以後は天下を手中に。

 

   徳川家康”  関白秀吉の権勢の下で雌伏の時を過ごし蜂起、戦国の世を終わらせた人物。

 

  第二次大戦の際に焼夷弾で焼け落ちた名古屋の城。

  戦争の時代は、あらゆるものを焼き尽くしていきました。 いまここに平和を勝ち取るのは尊いこと。

  

  さて、次なる天下人”に選ばれし存在は?。

 

 

 

 

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名古屋城が縁結びに良いか?は秘密です。

 

縁結びのスポット行った事ある?

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