氷川丸という名を聞けば横浜の山下公園を思い浮かべるでしょうか。

 

   その就役は昭和5年(1930年)ですから今から86年前。

   処女航海では太平洋を越えて北米大陸のシアトルに寄港しています。

   人間と貨物を載せる貨客船で12000トン級、当時から美しい船なのでした。

 

   太平洋戦争など時代背景に嵐の海の如く翻弄された氷川丸の数奇な運命。

 

   周囲は横浜の港湾施設。

 

   明治の黎明期、欧米諸国に圧倒された日本は自ら海運を推し進めました。

   土佐藩士の岩崎彌太郎が郵便汽船三菱会社で横浜から上海航路を開設。

   若々しく飛躍していく日本の海運業の始まりでした。

 

   歴代の活躍した老朽船に代わり近代的な新造貨客船として登場した氷川丸

   日本郵船が竣工させた昭和史に輝く船でしょう。  

 

   サンフランシスコ航路に就いた貨客船。

   あの熾烈な戦争で沈没を免れた幸運さ、病院船としても活用されたのです。

   戦後も昭和35年(1960年)まで現役として運航されていました。

 

   いまは横浜の海風の中で心地よさそうに係留されて博物館の任に就きます。

 

   豪華客船へどうぞ。

 

   見学料 一般は300円で、シニアは200円、子供たちは100円です。

 

 

 

   日常生活では、滅多に出来ない大洋の船旅。

   私は…ふと映画の『タイタニック』を思い出していました。

 

   ここには遊覧船の発着場もあります。

 

   私などの無粋な説明を書くよりも写真を御覧くださいね。  

   この先にある歴史を皆さんは虚心坦懐に乗船者としてお楽しみください。

 

   では貴女も御一緒に参りましょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   いまや保存船ですが、ブリッジの神棚には氷川神社の祭神が勧請されます。

 

 

   船長(キャプテン)のお仕事は無事な航海の安全を指揮すること。

 
  船長室も豪華な調度品ですね、初代の船長は秋吉七郎さんでした。

 

  太平洋戦争を生き抜いた浮沈船の気概を私もいただきました。

 

 

 

 

   船底に近い機関室には、重厚さと古いオイルの臭いが感じられました。

   これはデンマークのB&W社(バーマイスター&ウェイン)製の複動式ディーゼル。

   2基が搭載されて2軸推進します。 


   さらに発電機は同社のライセンス生産で日本の池貝鉄工所が製作しています。

   4サイクル450馬力ディーゼル機関駆動は直流で225V 出力は325Wを3基。

   各部機能を動かす直流電動機は船舶の静音にも貢献していました。

 

 

 

まるで素敵な船旅の雰囲気でしたね。

 

   横浜って潮風の爽やかさと深い海のような神秘とを併せ持つ街。

 
 
 
 
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