古都金沢と文豪たち

   
東山に参りますと、橋から見えるレトロモダンな建物は昭和4年(1929年)の銀行跡。

   (尾張町にある橋場交差点、正面にある青い道路標示看板方向)

   古代ギリシア風建築のイオニア式の正面玄関など優雅な外観が素敵です。

   城下町の浅野川に程近く懐かしい姿は市民にも愛着をもたれました。

   平成17年(2005年)、金沢市が『金沢文芸館 金沢・五木寛之文庫』に改修しました。


   金沢に因んだ作家、五木寛之さんといえば福岡生まれ、新人作家時代は金沢に居住。

   (夫人の岡玲子さんの郷里なのでした。)

   1966年に『さらばモスクワ愚連隊』が小説現代新人賞で華々しい文壇デビュー。

   『蒼ざめた馬を見よ』第56回直木賞を受賞など活躍されています。

   代表作『戒厳令の夜』や『風の王国』、『朱鷺の墓』、『風花のひと』、『浅野川暮色』
 
   『金沢望郷歌』、『ステッセルのピアノ 』といった金沢が舞台の作品も執筆されました。

 

 

 


   その橋場交差点(国道159号線)から間近の浅野川大橋を渡れば東山界隈。

 

 

 


   この季節は…まだ春ころで写真には桜も終わりチュ-リップが咲いています。

 

 

 


   川岸の老木には…梟が棲んでいそうですね。

 

 

 


   こうした古い町並みを保有する重要伝統的建造物群保存地区でした。

 

 


   浅野川大橋の紋章

 

 


   東山の岸辺から眺めますと(下流へ)左が尾張町(橋場交差点)、右は東山へ。

   (そういえば五木さんは、程近い東山荘に住んでいらしたそうですね。)

 

 


   ここで金沢三文豪”と称されますのは

   徳田秋聲(とくだ しゅうせい 1871年~1943年)

   泉鏡花(いずみ きょうか 1873年~1939年)

   室生犀星(むろう さいせい 1889年~1962年)の三人を輩出した石川県金沢の街。


   この橋の袂…浅野川の岸辺は、秋聲のみち と名づけられているんです。

 

 

 


   浅野川岸辺の東山1丁目東山河岸緑地。

   ここから主計町にかけては、文豪に縁の碑文などが多くあります。

 

 

 


   水芦光子(みずあしみつこ)さんの作品から文学碑  『雪の喪章』 

   主人公妙子の言葉は …きまって、雪の日に、狭山のひとたちは死んでいきますから…

   室生犀星さんの弟子で水芦さんは初めての女流小説家。

 

 

 


   いまも変わらぬ川面の景色を若き日の彼ら(文豪)も眺めていたのでしょうな…

 

 

 

 

 


   徳田秋聲の旧居跡、いまではマンションの駐車場でした。

 

 

 


   うめのはし

 

 

 


   旧い木製の橋で、泉鏡花の作品『義血侠血』でも舞台になっているのです。

   1917年に執筆された『卯辰新地』には…

   京都の団粟橋になぞらえたという新しい小橋…なのだと紹介されているそうです。

 

 

 


   梅ノ橋は、明治43年(1910年)の梅雨6月に地元有志により建造された橋なのでした。

   大正4年(1915年)に金沢市の市道に登録されました。

 

 

 


   しかし梅ノ橋…その歴史もドラマティックで文学的。

   1922年の大正時代夏に激流により崩壊、1953年の昭和にも水害で流出します。

   二八水害と呼ばれる事件以降、金沢市も梅ノ橋の再建を断念していました。

   想いが架ける橋 …金沢市民から梅ノ橋”再建への強い要望が湧き上がったのです。

   市の当局は昭和53年(1978年)春に、情緒ある梅の橋を復元しました。

 

 

 


   昭和に開通した三代目の梅ノ橋は、外観は昔のままで細部に工法の強化もあるのでしょう。

   記憶に新しい平成の水害(2008年)7月28日、集中豪雨から5年ぶりの氾濫。

   湯涌温泉に大被害、下流となる ひがし茶屋街 周囲にも深刻な被害が出ました。

   もちろん橋は無事でしたよ。

 

 


   梅ノ橋から眺めますと、下流に浅野川大橋。

 

 

 


   その上流にあるのは天神橋は構造も近代的で丈夫なタイドアーチ橋です。

   天神を祀った社が卯辰山頂にあることが名前の由来。

   それにしても女川”として優しげなイメージのある二級河川の浅野川…よく荒れます?。

 

 

 

 


   さあ、昔懐かしい梅ノ橋を渡りますれば…すぐそばにある 徳田秋聲記念館

                      (石川県金沢市東山1丁目19番1号)

 

 

 

 


   中庭には、橋に似せた構造物もありますね。

 

 


   こちらが正面玄関です。

 

 

 


   徳田秋聲さん、偉大なる文豪として…いまも金沢の静かな彩風を運んでくれます。

   幼き日は泉鏡花さんの先輩、第四高等中学校入学すると読書好きの彼は漢文と英語に長け

   周囲からも文学の道を勧められて志したのだといいます。

 

 

 


   真夏は涼しい木陰を提供してくれる大きな樹木が優しげですね。

 

 

 


   記念館の周囲は閑静な住宅地。

 

 

 


   偶然に…ふたつの橋が景色で重なりました。

   こうして金沢の古き良き伝統と新しい息吹が積層するように未来への架け橋となります。

 

 

 

 

 

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